川崎市内に爪痕を残した令和元年東日本台風。また来るかもしれない洪水や水害を私たちはどのように予測し、備えればよいか――。4回目となる今回は、とどろき水辺の楽校に発足から携わる鈴木眞智子さんに話を聞いた。
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2002年から活動を始めた同団体。等々力をフィールドに、がさがさや野鳥観察会、凧揚げなどを催して川崎の子どもたちに多摩川の魅力を伝えてきた。だが一昨年10月、台風19号が活動場所を直撃。じっとしていられなかったという鈴木さんは翌日、車で様子を見に訪れた。「辺り一面どろの海。私たちの看板も倒れていて。声も出ないほどショックだった」と振り返る。その翌日は、幸区の自宅から歩いて訪れた。「泣いている人、見物に来ている人さまざまだった。私も悲しかったけど、家が被害を受けた人の方がもっと大変だと自分に言い聞かせていた」と話す。
多摩川と育った川崎
これまでも何度も台風に襲われ、その度に多摩川は形を変えてきた。今回も、川辺に続く道や魚らん川と呼んでいた水路がなくなった。「それも多摩川の興味深さ。20年前と今ではぜんぜん違う景色」と思いをはせる。
だが、今回の台風は規模が違った。台風から約1年4カ月、今だフィールドを覆う倒木はそのままで、活動を再開できていない。直後から国土交通省に撤去を働きかけているが、思うように進まないという。「今年は具体的な企画書を作り、国交省や他の団体とも協力していきたい」と呟く。
時間を見つけては多摩川を訪れる鈴木さん。愛する多摩川の魅力を、再び子どもたちに伝えていくにはどうしたら良いか、日々頭を抱える。それでも、「川崎は多摩川と育った街。ここに来ると心が洗われる。まずは今年、何か一つでもここで開催できたら」
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