柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第62回天保の飢饉王禅寺村はその時どうした(3)後編
【前号から続く】近隣の小野路村(現町田市)にも当時の様子を知る手がかりとなる、小野路村名主小島家の文書が伝えられています。それによりますと、天保7年7月18日の記述には「七月十七日からの雨は朝より東南の風が吹き、雨降り止まず、堀や川筋は残すことなく冠水し街道にも水が流れ込んだ」さらに「今年は春から雨が多く諸作物の生育は大変悪かった。したがって関東一円は一般的に世の中が不穏で、穀物は高騰している。贅沢をしている農家や町人に至るまでこの状況を不吉なこととは夢にも思っていないようだが、親類の高座郡上溝村の老人が、天明四年の気候と大変よく似ているという言葉を聞き、安心できないと考えている」さらに「この状況を領主に報告し飢饉の可能性を訴え、蔵にある穀物の在庫を確認。物価高騰のきっかけとなる穀物の売り買いをしない事などが肝要である」などと小野路村の名主も事の重大性を案じています。
小野路村も王禅寺村も同じような状況があったようです。どちらの村の名主も米穀の買い占めによる米価の高騰に大変神経を使っていたように思えます。
文:板倉 史料:志村家文書「差上申御請証文之事天保7年7月」、小島家文書「小島日記 天保7年7月」
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