柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」中世人の生活の舞台としての鶴見川【5】 「鶴見寺尾絵図」【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)
神奈川県立金沢文庫の展示室を入ると正面に墨と朱色で描かれた「鶴見寺尾絵図」が掛っている。この絵図は南北朝時代の鶴見川下流域の様子を描く極めて貴重な絵画資料で、建武元年(1334)に起こった土地をめぐる訴訟に関連して描かれた相論絵図と言われている。
絵図には中央に「寺」が大きく描かれて、「寺」の下方には蛇行する鶴見川や川を渡る鎌倉下道が描かれている。「寺」を広く囲むように朱色の細い線で書かれた本境・本境堀が描かれている。朱線で記された本境こそが、この「寺」の主が本来の所領であることを主張するために描かせた絵図であるとみてよい。絵図の右斜め上から左下に向けて太い黒線が走り、「寺」の左側に描かれた馬水飲谷で鍵の手に折れてさらに左下に伸びている。その黒線の先には子安郷の入江の海岸に達している。また、黒線の中ほどの犬追物原から右下に向けて別の太い黒線が斜めに走っている。この黒線の先は鶴見
川の川岸まで伸びている。二本の黒線は朱線で記した本境を越えて鶴見寺尾郷を3分割しているようである。それぞれの黒線には3か所にわたり新境押領の文字が記されている事もそれを裏付けている。
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