柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」稲毛重成の人物像にせまる(その2)【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)
荒川流域では荒川が秩父盆地から関東平野に出る畠山には畠山氏、その下流には長野氏。入間川流域では河越庄には秩父平氏の惣領家河越氏がいる。河越庄は古代官道の東山道武蔵路が貫通している。入間川下流にある豊島郡には豊島氏がいる。豊島郡岩渕は奥大道が入間川を渡る渡河点に位置する交通の要衝である。江戸氏は海上交通と鎌倉下道の接点に本拠を構えている。多摩川中流域では小沢郷の小沢氏、その下流には稲毛庄の稲毛氏がいる。稲毛庄は古東海道の後身である中原街道が貫通している。河口付近には河崎庄の河崎氏がいる。鶴見川流域では小山田保に小山田氏、中山の中山重実、小机保の小机(河崎)基家・重家、師岡保の師岡氏がいる。鶴見川の西側には位置する榛谷御厨には榛谷重朝がいる。さらに、秩父平氏は近隣諸国に進出して、鎌倉街道上道沿いの上野国高山御厨には高山氏が、中原街道沿いの相模国渋谷庄には渋谷氏が、入間川・古荒川・古利根川・太日川が流れ込む下総国葛西御厨には葛西氏がいる。このように秩父平氏は河川の渡河点や港湾や陸上交通の要衝につぎつぎと一族を進出させるという意図をもっていたと考えられる。
ことに小山田一族は武蔵国府と鎌倉を結ぶ鎌倉上道沿いに小山田保(庄)には小山田有重、小沢郷には重成子息の小沢重政、榛谷御厨には重成の弟榛谷重朝とその所領が分布している。この一族が鎌倉上道沿いに南下する意図をもっていることが読み取れる。秩父平氏の中にあって稲毛重成等小山田一族の所領が鎌倉に最も近接していることを確認したい。
(つづく)
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