柿生文化を読む シリーズ「草創期の柿生中学校」『うれ柿』と学校生活の思い出…その3【1】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)
部活や運動会などの体育行事の外に、演芸大会や仮装行列そして映画教室など、初期の中学校生活は、現在よりも学習指導要領による縛りが緩く、各種イヴェントが毎月のように組まれている楽しい学校生活でした。当時の柿生地区は、現在とは違い純農村地帯でしたから、戦後の猛烈なインフレも、インフレ退治のために導入されたドッジデフレも、食糧を自給できる強みで、都市部ほど大きな打撃を受けることなく、切り抜けることが出来たのです。とりわけGHQの鶴の一声で導入された農地改革のおかげで、これまで最底辺の暮らしを余儀なくされていた小作農民たちが、平均5反分程度だったとはいえ、農地を所有する自作農民に昇格できたことは、村の暮らしを安定させる効果を生んでいたのです。こうした状況にありましたから、農繁期を除けば、生徒たちも放課後は毎日家路を急ぎ、家の手伝いに追われるということもなく、週の半分程度は、学校に残って部活や居残り学習に時間を費やすことも出来たのです。
そんな生徒たちも、「中学校生活で、最も楽しかったことは何か」と問うと、8割以上の確率で、遠足とか修学旅行という答えが返ってきます。食生活には困らなかったとはいえ、当時の暮らしぶりでは、家族で日帰りや宿泊を伴う旅行に出かけることのできる家庭は少なかったのです。さらに戦時中の柿生地域は、学童疎開の受け入れ先でしたから、戦時中の国民学校(当時の小学校はこう名付けられていました)生活には、遠足も修学旅行もありえなかったのです。それゆえ、小田急線の柿生駅から電車に乗って遠足に出かけることは、誰にとっても大変心躍ることでした。 (つづく)
![]() 久里浜港で乗船する船の前で記念撮影(1949年5月 3回生2年2組のクラス写真)
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