柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第114回 シリーズ「麻生の歴史を探る」民間信仰(2)石造物〜地神塔 後編
【前編から続く】
以降、この地神信仰は土地を耕す百姓の信仰として明治・大正・昭和と続きますが、昭和七年発行の柿生岡上郷土史、年中行事の欄に「地神講、社日(=地神を祀る日のこと)、各部落毎いくつかに分かれ、その講中毎に輪番に宿をなし、地神祭壇を設け地神を祀り、その前に各人白米五合とか三合とかに御酒料十銭とか持ち寄りて食し、余は雑談に時を移し、十二時前散会せし」と述べ、この地神信仰の地神講は村の大事な年中行事であったことを記しています。
講とは前稿庚申講と同様信仰仲間を言いますが、この地神塔の特徴は造形物の無い文字塔で、中央台座に造立者の講中名が印されていることで、私の家の菩提寺上麻生常安寺の境内にも、弘化五年(1848)春社と記された地神塔がありますが、正面には地神塔とのみ記され、台座には上麻生下講中と大きく彫られています。この講中は上麻生字亀井の講で、私の記憶では「じじんこう」と言って春秋の2回、宿を輪番に、祭壇に掛軸(聖徳太子の画像)を掲げて飲食しましたが、それは昭和二十年代まで続き、後に御嶽講などと一緒になり、”お日待ち”と呼び、その信仰は形骸化しましたが、年に一度、在地農家の親睦の場となっています。
地神信仰の象徴の石造物は地神塔ですが、黒川汁守神社境内に在る文久三年(1863)の塔は「地神齋」と記されています。「齋」とは齋戒沐浴、齋(とき)は神仏の食事を言い、察するに黒川講中の地神信仰は汁守神社で心を浄めて飲食を行ったのではないでしょうか。大國魂神社の膳部神だけに興味があります。
参考資料:「町田市史」「くろかわ」「川崎市石造物調査報告書」
文:小島一也(遺稿)
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