市政報告 遍照寺、75年経て半鐘里帰り 川崎市議会議員 みらい川崎市議団 飯塚正良
12月定例市議会で一般質問に立ち、先日返還された川崎区中島にある光明山遍照寺の半鐘について市長をはじめ教育次長に質しました。
第2次世界大戦中、戦況が厳しくなる中「金属類回収令」が始まり、光明山遍照寺は供出に応じました。太平洋戦争開戦から79年経た12月8日、遍照寺の本堂で半鐘返還式が行われ、私は遍照寺お経の会会員として出席しました。
■半鐘の仕様
高さ64cm、最大幅37cm、重量30kgの青銅製の小型の釣鐘。表面に刻まれていた寺や寄進者名は供出の際に掻き消されました。さらに供出時の衝撃により「乳(ちち)」という突起の一部が破損しています。服部文化財課長によれば、文化財課職員が青銅分野の研究を専門とし、掻き消された碑文を1年にわたりデジタル解析し、寄進された年代が江戸中期正徳元年12月、寺院名が光明山遍照寺であることを解読。まさに涙の物語であったといいます。
■発見の経過
発見は昨年夏、静岡県富士市の鉄工所が先代の残したものを整理していると、集めていた数個の半鐘が出てきました。厚木市江木の地名が刻まれ、同市の文化財担当者が、残りの半鐘に刻まれていた「河崎領」の名前を確認し、本市に連絡が入りました。
■半鐘の価値
銘文のある半鐘としては、現在把握しているものの中では市内最古で、作者も明確であることから、本市の近世信仰史や文化史、地域史を知る上で貴重なものと市教育委員会も認めています。とはいえ、銘文が掻き消されていることや、表面に「30kg」と大きく書かれているほか、一部欠損があることから、文化財としての評価への影響が考えられます。
■今後の取り組み
半鐘は来年2月以降、川崎市役所第三庁舎ロビー、市平和館で一般公開を予定しています。遍照寺の坂本住職は半鐘をこのままの状態で戦争の生きたしるしとして公開するのか、それとも文字が削りとられる前の状態に修復し、寺の宝とするのか迷っていると述べます。本市としても坂本住職の考えを十分に配慮した対応が必要です。
■市長 地域の宝に
福田市長は重苦しい社会状況の中、明るい出来事として喜ばしく感じている。この半鐘が地域の宝として、また平和の尊さを伝える鐘として、再び歴史をつむいでいくことを願うと答えました。
地域の宝がまた一つ増えました。
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11月29日
11月22日