静岡県富士市内の鉄工所で昨年8月に発見され、戦後75年を経て川崎の地に里帰りした遍照寺(川崎区中島)の半鐘が昨日まで市役所第3庁舎に展示されていた。8日には福田紀彦川崎市長が視察に訪れ、担当者から半鐘に刻まれた文字の解説などを受けた。福田市長は「話を聞いた時は驚いた。地域で大切にしていたものが時を経て故郷に帰ったというのは、まるで感動物語のよう。平和の尊さや歴史を学ぶ良い教材になるのでは」と語った。
半鐘には「武州橘樹郡河崎領」(現在の川崎市)と刻まれており、市教育委員会事務局文化財課で消されてしまっていた部分の文字を解読したところ、江戸神田の小沼播磨守によって製作され、1711年に講中(檀家などの集まり)から遍照寺に寄進されたものであることが判明した。第2次世界大戦中に武器生産の資源不足を補うための金属類回収令により同寺から供出されたと考えられる。半鐘には供出をうかがわせる「30kg」という文字が大きく書かれており、担当者は「強い溶剤で書かれてしまっているため修復は難しい」という。
1990年から2001年度にかけて実施された調査によると、戦前から残っている半鐘は市内に6点あるが、今回発見された遍照寺のものが最も古い年代に製作されたという。
4月「川崎大空襲記録展」でも展示予定
半鐘は、4月に中原区の川崎市平和館で開催される「川崎大空襲記録展」でも展示される予定。
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