昆虫の標本画家で、「かわさき宙(そら)と緑の科学館」で学芸員として働く 川島 逸郎さん 幸区出身 47歳
「いい仕事」残したい
○…虫眼鏡、顕微鏡で手元を見ながら、ペンや筆で昆虫の体の細部から足の節々に至るまで全形を表現する「標本画」。その専門家は国内でも希少な存在とされ、外形を線で追う写生とは異なり、その生態や生き方、構造を追究することで「生き物らしさ」に迫っていく。今月には、九州大学総合研究博物館から依頼を受けた標本画二十数点が学会誌に収録、発行された。
○…これまで学術的な書籍60冊以上、論文約270本で挿絵等を手がけた。「標本だけ見て描くと、足先の曲がり方一つでも乾燥した、死んだ感じになる。生態を深く知ることで、科学に裏打ちされた絵になる」と力を込める。昼間は昆虫に関する取材や写真撮影のため外を回り、明け方まで顕微鏡をのぞき込む日々。描くときは数日がかりで睡眠時間さえ惜しむが、「好きなことだから、それが休息みたいなもの」と笑い飛ばす。
○…幸区で生まれ、小学生時代の大半を生田緑地のそばで過ごした。当時見た、オニヤンマの群れは脳裏に焼き付いている。虫を採りに行っては描く――。先人の標本画を見ては国内外の書物を片っ端から読み、独学で描き方を習得。大学では昆虫学を専攻し「自分には標本画しかない」と心を決めた。卒業後も研究を続けながら、フリーの標本画家として仕事を探し、書店営業に奔走した。「とにかく貧しくて。脇目も振らず数を描くしかなかった」。20代の頃は周囲から認めてもらえず、支払いを踏み倒されることもあった。忘れられない思い出の一つだ。
○…13年前には白内障を患い、距離感や質感を感じにくくなった。「これはダメだ」と諦めかけたが、筆は止めなかった。学芸員として県立生命の星・地球博物館で1年間過ごし、3年前に科学館へ。約40年ぶりに生田緑地に帰ってきた。「いい仕事を残したい。頭の中はそれだけ」。科学館の資料整理や標本を更新する傍ら、標本画を描き続ける。その旅路に終点はない。
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11月22日
11月15日