高校サッカーの名将として知られた小嶺忠敏さん(長崎総合科学大学附属高校サッカー部監督)が1月7日、76歳で亡くなった。小嶺さんは2016年12月、同サッカー部が全国高等学校サッカー選手権大会に出場した際、川崎市立川崎高校(川崎区中島)のグラウンドで直前練習を行っていた。
当時、川崎高校の教諭でサッカー部監督を務めていた小坂仁さん(45)によると、12月下旬の大会開催の2、3日前に突然、携帯電話に小嶺さんから「川崎高校のグラウンドを練習に使わせてもらいたい」と連絡があったという。
小嶺さんは宿泊地の川崎区内で練習環境としてふさわしい人工芝のグラウンドを探し、地図アプリの航空写真で川崎高校を発見。高校サッカー指導者のネットワークを頼りに4、5人を介して小坂さんにたどり着いた。かつて長崎県立国見高校を戦後最多6度の全国制覇に導いた高校サッカー界のレジェンドからの連絡に、小坂さんは「電話越しなのに直立不動の姿勢になった。自分までたどりついたその執念がすごいと思った」と印象を語る。
本番直前の2日間、グラウンドで指導する小嶺さんの姿を観察した小坂さん。恐れ多くて自分から話しかけることはできなかったという。「選手の課題にヒントを与えるのではなく、気付くまで見守る立ち姿にオーラを感じた。唯一無二の存在で、経験も違うし真似は出来ないが、指導者とは何かを考えるきっかけになった」と話す。練習の最後に川崎高校サッカー部との20分ハーフの調整試合を実施。長崎総科大附はレギュラーで臨み、一切手を抜くことはなかった。現在J2・水戸ホーリーホックに在籍する安藤瑞季選手との接触プレーで「吹っ飛んだ」という、川崎OBの久保田泰智(たいち)さん(21)は「力の差を見せつけられた。サッカーに対する気持ちの持ち方など見習うことが多かった」と当時の思い出を語る。小坂さんは「勝負に一切の妥協なし。ほとばしる情熱というイメージだった。改めてご冥福をお祈りします」と語った。
ずっと憧れだった
小坂さんは富山県の水橋高校出身。中学生の時、同校と国見高校が全国大会で対戦するのを見て進学を決めたという。その頃から小嶺さんは雲の上の人で、指導者となってからは憧れの存在だった。小嶺さんと過ごした時間は2日間、10時間だったが、その後のサッカーへの取り組みに大きく影響したという。日本サッカー協会公認のS級ライセンス取得に向け勉強していた時、既にS級ライセンスを持っていた小嶺さんに電話でアドバイスを求めたところ、「しっかり指導を勉強してきなさい」と励まされた言葉は宝だ。
現在は教職を辞し、サッカー指導者としての道を歩んでいる。ちかく、中原区の少年サッカーの指導を皮切りに、川崎市内のサッカー選手育成に尽力していきたいと語った。
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