「変わらないことが希望になる―」。そんな思いを抱き、元職員による殺傷事件が起きた津久井やまゆり園と交流を続けるのが地元・県立津久井高校(緑区三ケ木)茶華道部と顧問の依田春佳さんだ。20年以上続く両者のこれまでの歩みと、その思いを依田さんに聞いた。
同校は、やまゆり園から約4Kmの場所に立地。県内では珍しく普通科に加え、福祉科も設置されている。
依田さんは同校の卒業生。福祉科の前身にあたるコースを専攻し、その奥深さを知った。大学でも福祉分野の勉強に勤しみ、卒業後は、県内でも数少ない「福祉科教諭」として同校に戻ってきた。
やまゆり園との出合いは着任と同時に顧問を務めた茶華道部の活動が契機。同校の中でも歴史ある同部は、少なくとも20年以上前からやまゆり園と交流を続けてきた。依田さんが顧問を務めてからも「ほぼ欠かすことなく」毎月1回、部員らとともにやまゆり園を訪れた。園では季節の花を用意し、利用者が花を生けるのを部員らでサポート。生け花を終えると、お菓子とお茶を楽しむ和やかな活動を重ねてきた。
依田さんによると、普通科の部員は障害者と触れ合う経験が少なく、やまゆり園に行く前は不安そうな表情をしていることが多いという。しかし、何度か通ううちに、部員は利用者から名前で呼ばれることを嬉しく思い、お互いに心を通わせるように変化していく。中には、最初は硬い表情だった生徒が「次やまゆり園に行くのはいつですか」と聞いてくることも。依田さんは「毎回『ありがとう』と言われますが、本当に色んな事を学ばせてくださり、『ありがとう』というべきは私たちの方です」と振り返る。
規制線に「覚悟」芽生える
着任後6年間、依田さんは部の顧問としてやまゆり園と交流を続けてきた。しかし、2年前の凶行が状況を一変させる。
事件により、欠かさず続けてきた月1回の交流は中断。連日報じられる犯行理由やそれに共鳴する書き込みに耳を塞ぎたくなった。「園の人たちがどんな人なのか何も知らないのに…」。そんな思いを抱え、依田さんは事件と向き合うことができず数カ月を過ごした。
事件から4カ月後、転機が訪れる。職員らにあいさつするため、学校長らとやまゆり園を訪問。ふと、いつも利用者と交流していた作業場が目に入った。しかし、そこには規制線がかかり、かつて笑顔で溢れた風景からは変わり果てていた。その瞬間「絶対に部を守り変わらずに活動を続け、またやまゆり園の方と交流したい」。依田さんの中で事件と向き合う「覚悟」が固まった。
その後、やまゆり園は横浜市へ仮移転することが決定。車で10分程だった距離は何倍にも広がってしまったが、依田さんの心は変わらなかった。「施設がどこに行ってもやまゆり園への思いは一緒」。仮移転後、移動に時間を要することから現地での交流は難しくなったが、同部とやまゆり園は手紙とカレンダーの交換などを続けお互いに心を通わせている。
依田さんは「事件によって多くの事が変えられてしまいました。そんな中で、私たちが以前と変わらず元気で活動していることが、やまゆり園の方々の希望になるかもしれない」と話し、「そんな思いを胸に、これからも活動を続けていきたい」と笑顔で語った。