東北の復興支援に関わりたい。そう考えたのは、定年を控え第二の人生を模索していた頃のこと。高校卒業後、地元福岡から上京し、大手私鉄の東急電鉄で田園都市線沿線のまちづくりに従事してきた。「ずっと開発畑。この経験を生かして何かできないかと思った」。行き着いたのが被災3県の任期付職員を募集する合同説明会。比較的立て直しが進む岩手・宮城の現状を聞きながら、原発の影響で復興が遅れる福島県・浪江町のブースに足が向いた。「浪江はこれからです」。職員の言葉で進む道を決めた。「この年齢になると人の役に立つとかそういうことを考えるようになる。どうせ行くなら大変なところにってね」。2015年夏に採用試験を受け、16年1月付で福島県の任期付職員として浪江町に派遣。1年ごとに契約を更新し、家族を相模原市内に残した単身赴任生活は4年目を迎える。
所属はまちづくり整備課計画係。1年目は中心市街地の再生や道の駅の基本計画に加え、災害公営住宅の造成地計画に携わった。「道路をどうするか、宅地割りはどうか、役場として考える。ゼロからのまちづくりだった」。全85戸の住宅は、この3月でほぼ全戸が満室になる。地元の人と話す機会もあり「応援で来てくれたんですか」「ありがとう」と声をかけられることも。「よく言ってもらえる。やっぱり嬉しい」と表情を緩める。
現在は市の「スマートコミュニティ事業」を担当。「原子力に依存しない、エネルギー地産地消のまちづくり」を掲げ太陽光発電や水素の利活用、災害時の移動電源としての電気自動車の活用に取り組む。20年オープンの道の駅では、こうした再生可能エネルギーのショーケース化も予定。「先進的な取り組みをアピールしたい」と前を向く。
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浪江町は福島第一原発にほど近く、震災直後に町全域に避難指示が出た。17年3月に帰還困難区域以外の避難指示が解除されたが、現在の居住者は900人ほど。震災前の2万1千人の5%に満たない状況だ。役場の周りに家は残るが、ほとんどが空き家だという。「解体がだいぶ進んだが、廃墟のような光景もあった」。解除からまもなく2年。昨年、小・中学校と認定こども園がオープンし、伸び率は低下したものの住民も徐々に増えている。一方、町が行ったアンケートでは半数が「帰還しない」、3割が「判断がつかない」と回答するなど、厳しい状況もある。めざす先は、と問うと「亡くなった馬場(前)町長が、まちおこしではなく『まち残し』と仰っていた。そのために尽力していきたい」。戻れるまち、ふるさとがあること。まちがあり続けること。「まずは今年も1年、頑張っていく」と力を込めた。
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