震災直後の3月31日に開局した臨時災害放送局を前身とする、岩手県大船渡市のコミュニティ放送局「FMねまらいん」。局名「ねまらいん」には気仙地方の方言で「ねまる」(座る) に由来し、「ねまらい〜ん」(ちょっと座って休んで) という意味が込められている。自身は開局して約半年後に入局。現在、パーソナリティとして番組を受け持ち、ソフトな語り口で人気だ。元々はラジオに興味を持っていなかったが、震災が後の人生に影響を及ぼす形となった。
震災のときは、青森県弘前市の大学を卒業する直前。進路も陸前高田市内の郵便局に就職が決まっており、あとは新生活のスタートを待つばかりだった。それがあの大地震で暗転する。郵便局は流され、家族は無事だったが、大船渡の実家は全壊扱いで被災。両親からは弘前に戻るよう命じられた。帰途につくときは後ろ髪を引かれるような思いだった。
震災直後の混乱の中、人々の貴重な情報源となったのがラジオの存在。人と地域をつなぎ、また遠くてもダイレクトに聴衆に届くといったラジオの役割に関心を抱くようになり、いつかはふるさとでラジオを立ち上げる夢を持って弘前のラジオ局に入局。1年半の活動を経た頃、「FMねまらいん」を新聞記事で知り、思い切って同局の門を叩くと、メンバーを増やす構想だったこともあり、幸運にもパーソナリティの座をつかんだ。
それでも初めはアナウンスの面で苦労を強いられた。なまりが出ないようにすれば「都会人みたいだ」と揶揄され、心無い言葉をかけられて気持ちが落ち込むことも。そこで参考にしたのが、同じく局の素人DJ仲間の話し方だった。決して上手とは言えないが、率直に語りかける声からは温かさや面白さがにじんだ。「私のふるさとはここ。伝えたい気持ちに純粋に」と心に言い聞かせ、それからは自然体で放送に臨むように。今では何でも受け入れられる度量が備わってきたことに手ごたえを感じている。
震災から8年、同局で放送に携わるようになって5年が経った。市民の中には復興に向かって前進する人がいる一方で、津波で家族を失い、今でも海が見られないほどのショックから一歩も前に踏み出せない人たちもいるなど温度差が現れている。震災について寄せられるメッセージは減るも、町の詳しい情報を求める声が増加。ラジオはまさに「生活の一部」となってきている。放送する上でどの温度をくむべきか、日々難しい選択を迫られる。人口流出も激しい。内陸に移住する人は戻らないといった実情もある。それでも、「人と地域をつなぐラジオの役割」を信じる。大船渡の魅力をさらに発信し、まちづくりの一翼を担う決意だ。「頑張る若者がまちづくりに欠かせないと聞く。私もその一員として大船渡のために頑張りたい」。
「伝えたい気持ちに純粋に」。大船渡へのあふれる思いを電波に乗せ、これからも町全体を一層盛り上げる。
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