米軍施設「相模総合補給廠」で1972年に起きた、ベトナム戦争のために搬出される戦車を市民が「止めた」活動、いわゆる「戦車闘争」。あれから50年が経ったことを機にあさって8月6日(土)から3日間、当時の様子を振り返る写真展が行われる。担当者は「相模原でこのようなことがあったことを忘れないでほしい」と話す。
6、7、8日 産業会館西門で戦争反対
主催は相模補給廠監視団。期間は8月6日、7日(日)、8日(月)で会場は相模原市立産業会館(中央区中央)。闘争の様子を捉えた写真などA3サイズのパネル50、60点が展示される。写真は同団体、あるいは市の所蔵。
1972年8月5日、ベトナム戦争の戦地へ向かおうとしたM48戦車は、横浜市神奈川区の村雨橋で戦争反対運動をする市民によって立ち往生となった。戦車はその後、米陸軍相模総合補給廠へ引き返すことを余儀なくされた。それからおよそ100日間、戦車は補給廠から出ることができなくなる。全国から集まった市民、労働者、学生らが補給廠の正面ゲート「西門」にテントを張って居座り、平和を求め「戦車搬出阻止」を訴え続けた。これが「戦車闘争」と歴史に名を残す政治闘争だ。
「大学の友人に誘われて初めて相模原を訪れました。当時はベトナム戦争が終わりを迎える時期で学生運動をする仲間が多く、デモなどへの参加はそれほどハードルが高いものではありませんでした」。監視団のひとりで、戦車闘争に参加した沢田政司さんはそう振り返る。
市民も見物に
沢田さんによると当時、西門前の緑地帯には戦車の搬出を止めようと政党や学生団体による複数のテントが張られた。夜になると夕涼みを兼ねてか、多くの市民が「見物」に訪れたそう。ただ、9月になると5000人の警官が動員されテントの撤去が始まった。沢田さんも警官に取り囲まれ横山公園まで連れて行かれたそう。そして11月8、9日、装甲車に続きM48戦車の搬出が強行された。およそ100日間続いた闘争はこれを境に一気に収束していく。
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