またひとつ昭和の風景が消える--。中央区相模原の商業ビル「グリーンバザール西門」が老朽化によって取り壊されることになった。シャッター通りとなったビル通路で営業を続けてきた鮮魚店と精肉店が9月30日をもって最後の営業を迎え、市場としての役割を終えた。
「昔は夕方5時にもなるとすごい人出だった。いっときは『相模原のアメ横』と呼ばれていたんですよ」。そう懐かしむのは、昭和28年創業の鮮魚店「魚信」2代目社長の青木豊さん(72)。
かつての「相模陸軍造兵廠」は昭和24年に接収され、「米陸軍横浜技術廠相模工廠」となり、工廠内に置かれた作業所では数多くの日本人労働者が働いていたという。そのため、工廠の出入り口の「西門」前には労働者らが利用する飲食店や商店が立ち並ぶようになり、昭和27年にグリーンバザール西門の前進となる「相模日用品小売市場」が開業した。
ただ、周辺の人口増加や市街化ともに個人商店を取り巻く環境は大きく変化。「近隣に大型スーパーができると、どんどんお客さんが散っていってしまった」という。
そこで昭和48年には「グリーンバザール西門」として一部を商業ビル化。生鮮三品や日用品、飲食店などの個人商店が出店し、西門の顔として賑わったという。
それでもビルの開業から50年が経過し、立ちはだかったのが後継者問題だった。青木さんは「どこも後継者がいない。子どもたちは大学を出てサラリーマン。もうそういう時代なんだよ」としみじみ。「しょうがないよ。時代の流れだから」
この日、最後の営業と聞いて子ども連れで訪れた三浦啓太さん(37)は「引っ越してきて4年。皆さんが温かくてアットホームな雰囲気がよかった」と惜しんでいた。
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