競泳女子自由形400mと800mの2種目で東京五輪日本代表に決定した緑区西橋本在住の小堀倭加さん(20)=日本大学3年・セントラルスポーツクラブ戸塚=が4月27日、市役所を訪れ、本村賢太郎市長へ成果を報告した。大舞台へ向けて小堀さんは、「日本代表、相模原代表として自覚を持って、オリンピックの舞台で自分のレースができたら」と力強く決意を述べた。
小堀さんは奈良県で生まれ、まもなく相模原へ移り住んだ。相模原みどり幼稚園時代、カリキュラムとして地元スイミングクラブの相模原ドルフィンクラブで行われた水泳教室が楽しく、橋本小学校へ入学すると同時に同クラブへ入会した。小学4年春にJOC全国ジュニアオリンピックカップに初出場(大会自体は東日本大震災の影響で中止)。旭中学1年時には200m背泳ぎで同大会を3位、2年時には全国中学校大会2位と、当時は背泳ぎを主軸にその才能を開花させた。
中学3年の時に記録が伸び悩み、壁にぶつかった。「水泳に向き合う気持ちが変わった」とターニングポイントにあげるのは、さらなる高みをめざして選んだ強豪・湘南工科大学附属高校への進学。そこで恩師の三好智弘監督に勧められ自由形に転向すると、持ち前の持久力を生かして中長距離で一気に日本のトップクラスに躍り出た。
パンパシフィックやアジア大会などの国際舞台でも躍動し着々と力をつける中で見据えてきたのは東京五輪だ。その代表選考を兼ね今年4月に東京で行われた日本選手権で400mを優勝。800mで2位に入り、派遣標準記録も突破して念願の代表切符をつかんだ。
東京五輪の代表は、出身など市にゆかりがある選手では小堀さんが7人目。市内在住としては飛込み競技の坂井丞選手に続き2人目。
決勝で日本記録を
27日に市を訪問した小堀さんは、「日本代表として、また相模原代表として自覚を持って自分のレースができたら」と本番へ向けた決意を述べ、「まだまだ今の記録では世界とは戦えない。決勝の舞台で日本新記録を出すことをめざして頑張りたい」と言葉に力を込めた。本村市長は「五輪で結果を出せるように頑張って」と激励した。また、出身中学の話から、「後輩へメッセージを」とリクエストされると、小堀さんは「自分はスイミングクラブだけではなく、部活動にも参加して力をつけた。それが今、生かされていると思う。部活を楽しみながら結果を出して欲しい」とエールを送った。
訪問後、小堀さんは「あいさつや報告をするうちに少しずつ実感が湧いてきた。自覚を持って行動や練習に取り組んでいかなければと思う」と代表となった心境を述べた。自身の強みを「持久力。後半でも泳ぎが崩れずに一定のペースで泳げる」とし、本番では「2種目で決勝へ。800mではそこで日本記録を」と改めて意気込みを語った。さまざまな意見が飛び交っている五輪開催については、「実施する、しないはそこまで考えていない。開催されることを想定して、本番でしっかり力を出せるように練習している」と話した。
地元からも声援
幼少から相模原で過ごし、今も生活の拠点を西橋本に置く小堀さん。代表が決まり、「地元のいろいろな人に声をかけてもらっている」とほほ笑む。旭中学で3年間、小堀さんに体育科目を教えた笠原ゆかり教諭は「部活も手を抜かず、委員会などの学校活動も頑張っていた。代表決定の一報には、当時の学年指導の教員一同で喜んだ」と教え子の活躍を称える。
「おとなしく、自分から進んで話はしない子だった。キックなど体の使い方はとても上手で、どんどん進級した」と話すのは、小学2年から中学卒業まで小堀さんを指導したドルフィンクラブの村上大コーチ。「叱った記憶はほとんどない。とてもやさしい素直な選手で、小学3年の時に橋本七夕まつりで短冊に『家族が幸せになりますように』と書いていた」と思い出を振り返るとともに、「タイムや成績もだが、精神面や人としてここ1年ぐらいでとても立派になった」と愛弟子の成長を喜ぶ。五輪では「倭加らしい泳ぎができれば最高の結果が出る、が今までのスタイル。今度は世界最高峰の大会。倭加らしさに加え、さらにうまい、強い、速いを身につけて挑んで」と励ましの言葉を送った。
「共にささえあい 生きる社会」相模原市は、全ての人が共に支えあって生きる共生社会の実現を目指しています。 https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kosodate/fukushi/1026641/1012901.html |
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