東京五輪2020男子シンクロ板飛び込み競技で相模原市出身の坂井丞選手(ミキハウス所属)が5位入賞を果たした。坂井選手に五輪を振り返ってもらうとともに、今後の競技生活、地元相模原への思いを聞いた。
東京五輪の同競技は7月28日に行われた。選手村入村後にはプールと陸上での練習があわせて2時間程度しか割り当てがない。どの選手も入村前までに完璧に調整をしてこなければならない状況で、国によっては「まだ仕上がっていないな」と感じる場面もあったという。坂井選手はリオから東京五輪直前まで、原因不明の蕁麻疹や体調不良に悩まされていたこともあり、常に効率の良い短期集中の練習を心がけており、時間の短さに対する不安はなかった。
プールにせり出した飛び板から跳ね上がり、空中で回転しながらペアの選手と動きをあわせて静かに入水する男子シンクロ板飛び込みは、計6回の試技の合計点で決まる。坂井選手と組んだのは6回目の五輪に挑んだ寺内健選手だ。坂井・寺内ペアの強みは2人の寸分たがわぬ息のあった演技。あえて難易度が低い技を選び、完成度を上げる。坂井選手と寺内選手は体格に差があるが、互いに100%をめざして演技すると不思議と「ぴたりと息が合う」。
「レジェンド」と称される寺内選手でも本番前は緊張の色が見られたという。坂井選手は普段から緊張しないタイプで、場を和まそうと寺内選手を笑わせるなどしていた。寺内選手が「これまでやってきたことが、ここで最後かもしれない。そう思うと込み上げてきた」と明かすと、「メダルをかけてあげたい」という思いも強くなった。試合に臨む前は、「最後はシンクロを楽しみましょうよ」と声をかけた。
3位まで10点差
2回目の試技までは強豪・中国に次ぐ2位につけていたが、5回目の時点で他国にも押されて7位まで後退。それでもあきらめず最終の6回目でミスなしの華麗な飛び込みを見せ、5位を勝ち取った。
坂井選手は結果を振り返り、「国際的な大きな大会で片手で数えられる順位に入るのは初めて。それが東京五輪だというのはうれしい」と笑顔を見せる。「もちろんメダルはめざしていたが、どこまで戦えるのだろうという感覚は持っていた。その中で3位のペアに10点差まで詰めることができ、まだ戦えるなという気持ちと、やってみなければ分からないと感じた試合でした」
コロナ下で苦悩
日本体育大学に通う学生だった頃から、東京五輪出場を夢見た。16年にはリオ五輪も経験したが、「自国開催」にはまた特別な思いを抱いていた。19年7月に日本代表第1号に内定。目標としていた切符に手が届いたことに安心感を覚えた。
しかし新型コロナウイルス感染症拡大により、東京オリンピックは1年延期に。緊急事態宣言に伴い、練習拠点としていたさがみはらグリーンプールも閉鎖され、練習の場を確保するのにも苦労した。「オリンピックで輝くためにずっと取り組んできたし、東京五輪なんて人生で一度しか関われない。出たいという気持ちは大きかった」
開催の是非に世論が割れ、宙ぶらりんになっているときが精神的に一番つらかった。「もし中止になっていたら気持ちの整理はつかなかったかもしれないが、日々のストレスは軽減されていたかもしれない」と打ち明ける。それでも気持ちを切らさずに、コロナ対策に気を配りながらも練習に打ち込んだ結果が、自身の五輪最高順位の5位入賞につながった。
応援が力に
3人の子もテレビの前で応援してくれ、自宅に帰ると「おつかれさま」と書かれた紙を壁に貼って迎えてくれた。「長男が『かっこよかった』と言ってくれたのがうれしくて」と目を細める。
飛び込みの師でもある両親からも「まだまだいけるね。久しぶりにいい演技をみた」と賛辞を送られた。「父は現役の頃あと一歩のところで五輪を逃していて、夢を託されたと思っていた。結果が出せて、いい親孝行になってよかったなと」
9月に行われた日本選手権で坂井・寺内ペアは6連覇を果たした。リオから東京五輪の間まで悩まされていた体調不良により、限界を感じたこともあった坂井選手。体調も安定して東京五輪に続いて日本選手権で結果を残したが、ここで新たに目標を見つめ直す期間に入る。
選手生活の中で、何度も地元・相模原の人たちからの応援に支えられたという坂井選手。今後は「相模原にも貢献していきたい」と抱負を語る。現在、グリーンプールでジュニア飛び込み教室を企画し、競技の啓発や後進育成にも尽力する。「1年1年を大切に、競技者として飛び込みに向き合っていきたい。そして応援してくれている相模原を盛り上げる活動にも携わりたい。自分に何ができるか模索しながら、恩返しできれば」と前向きに話した。
さがみはら中央区版のトップニュース最新6件
|
|
|
|
|
|