日本被団協のノーベル平和賞受賞を受け、被団協に属する県組織「神奈川県原爆被災者の会」と「相模原原爆被災者の会」で会長を務める丸山進さんに話を聞いた。5歳の時に広島で被爆し、長年「語り部」として活動してきた丸山さんは、今回の受賞は被団協が70年もの間続けてきた地道な活動の結果だと話す。
――来年で原爆投下から80年。会の現状は
「私たちも今はもう人数が少なくなってしまって、県でも証言者は10人ほど。相模原では私ともう一人だけです。当時のことをよく覚えている、当時中学生くらいだった人たちはもう90歳を超えている。早晩、あと10年もすれば証言できる被爆者はいなくなると思います。でも、今はまだいる。だから私たちはなるべく要望があったら断らず、できるだけ証言をするようにしています。これからも健康に気をつけながら、命ある限り伝えていきたい。会としては人材的にも資金的にも苦しい状況ではあるのですが、伝承者も活用しながらできる限り活動を続けたいと思っています」
――行政の取組について
「相模原市は1984年に核兵器廃絶平和都市となることを宣言し、毎年『市民平和のつどい』を開催しています。平和行進にも市が協力していますし、市議会は要望(核兵器廃絶に向けた取組みと核兵器禁止条約に参加できるような橋渡しとしての役割を担うことを求める意見書)を以前から議会として提出しています。これは横浜市や川崎市では実現していないことです」
――政府に対しては
「私たちは毎年2回、各政党に対する要望活動を続けています。政治を動かさないと私たちの目的は動かないですから。政策には国際情勢が敏感に反映されます。今、防衛費増強という話もありますが、あくまでも私たちは外交努力を求めています」
「危機感ある」
――世界の情勢を見て
「長い活動の中で、国連で被爆者の話を聞いてくれるようになったり、原爆展ができるようになったりしてきましたが、今はむしろ逆の状況です。『実際に使われるんじゃないか』という危機感がある。NPT(核不拡散条約)の再検討会議もほとんど形骸化しているし、アメリカもロシアも背を向けている状況です。ノーベル賞を『嬉しい』だけで済ませるわけにはいかない。これからが大事。これからどう活動していくかというのは難しい局面ではありますが、私たちももうそんなに時間があるわけじゃない。被団協の活動が評価されノーベル賞をとったということのインパクトは非常に強いと思うので、今までと変わらず、あるいはそれ以上に、世界の多くの人たちに『核兵器は非人道的な兵器で、人類とは共存できないんだ』ということを訴えていきたいです」
――若い世代に向けて
「若い人たちは特に、いろんな人のいろんな意見を聞いて、いろんな情報を自分なりに判断してほしい。偏った意見というのはとても危険です。今は便利なものがたくさんあるけれど、人間同士の関わりが希薄になっているところもあると思う。人間同士で付き合うというのは面倒くさいところもあるけれど、それを避けずに、人との関わり、社会との関わりを大切に、周りの人とのコミュニケーションを大切にしてほしいです」