南中生へ戦争語る 広島修学旅行の事前学習で
市立大野南中学校(南区文京/矢澤真司校長)で11日、戦争体験者が戦時中の生活について生徒に語る会が開かれた。同校の2年生約250人が体育館に集まり、「語り部」の講話に耳を傾けた。体育館内には相模原市戦没者遺族会の協力により、太平洋戦争に関する資料も展示された。
同校では今年度まで京都・奈良を修学旅行先としていた。現2年生が旅行する来年度は広島を訪れる。今回、「平和学習」に取り組んでいる同校が、戦争の話を聴くことで生徒に平和を願う気持ちを育ててもらおうと事前学習の一環として初めて会を実施した。体育館には同遺族会の協力で太平洋戦争の戦没者数や未帰還遺骨の概数などが記された資料約40点も展示された。
この日、講話を行ったのは、南区在住の増元(ますもと)章子(あやこ)さん(78)。増元さんは戦争体験者として、2009年から各地の小中学校などで戦時中の様子などを語っている。同遺族会の理事も務めている。1936年、愛媛県南宇和郡で生まれ、5歳の時に太平洋戦争が始まった。終戦を迎えたのは小学校4年の時だった。
冒頭、増元さんはアジアのきらびやかな民族衣装「サリー」をまとって登場した。「戦争中は色や装いを選ぶことができなかった。今は選ぶ自由がある」と生徒に説明。その後、戦時中に祖母が着用していたという「もんぺ姿」になった。
家を手伝うために毎日水の入った天秤(てんびん)を担いだこと、日々芋を食べて過ごしたことなど、当時の生活の様子を語った。
そして戦争が終わり、増元さんは父の帰還を待ち望んだ。しかし48年、父がパプアニューギニアで戦死したとの報せを受けた。増元さんが12歳の時だった。母親とは幼少に生き別れていた。「死のうかと思ったこともあった」と増元さん。しかし、「父の分まで、生きなくちゃ」と思いとどまったそうだ。増元さんは、「命は宝。どんなところにも悲しいことや苦しいことはある。でも、生きている喜びは必ずある。受け止めて自分を磨いて。自分の命を宝物にしてください」と話した。
生徒を代表して、校外学習実行委員長の佐藤裕一郎さん(13)が、「戦時中は自由が無かったということを深く考えました。戦争でつらい思いをする人がいない、平和な世の中を保つために私たちにできることは、戦争を知り、そこから考えること、身近な人と人とのつながりを大切にすることだと思います」と述べた。
この1週間後の18日、生徒らは校外学習で東京都新宿区にある「平和祈念展示資料館」を訪れた。
|
|
|
|
|
|