日常生活を送るため、人工呼吸器での呼吸管理や経管栄養などを受ける必要がある医療的ケア児(以下医ケア児)を育てる親たちの会が相模原にある。渡辺瞳子さん(41・緑区)が代表を務める医ケア児と親の会「はれかぜ」は約2年前、障害のある子どもの発達を支援する施設・医療型児童発達支援センター・陽だまりに通う医ケア児の母親たちが中心になって発足した。
会では日々の出来事や子育て上の不便や困り事などについて日々連絡を取り合うほか、年に数回、議題を上げて意見交換をするなどの活動を通じ、母たちは医ケア児を育てる上での情報支援も行っている。医ケア児のためにさまざまな知識を把握しなければならないからだ。
メンバーの廣井幸子さん(35)は子どもが鼻にチューブを入れて栄養をとる経鼻経管栄養になった時、「同じ境遇の母親と話したいと思った」とこぼす。胃から栄養を摂取する胃ろうや、肺に空気を入れるために気管切開をした「特殊な器具を付けた」子どもたちに対する周囲の視線や、気を遣わせてしまったことに対して「違い」を感じ、周りと距離をとってしまう。渡辺さんは「母の孤立があってはならない」と警鐘を鳴らす。
突然の宣告
渡辺さんの次女は10カ月で座位が取れず、大学病院で先天性の進行性難病と診断された。特効薬も治療法もなく、3歳で亡くなると宣告される。絶望感で目の前が真っ暗になりながらも、ネットなどでケアの方法などの情報を必死に探した。「病気のことを必死に調べては一喜一憂する、それが親たちのスタートです」。そうした中で、知り合ったのがブログで同じ病気を持つ子との日々をつづっていた廣井さんだった。
ケアの仕方を互いに共有し合ったり、もちろん苦労話も。渡辺さんは言う。「でも、深くかかわれることは幸せなんです。医ケア児も海や、ディズニーランドに行くことができるんです。この子たちがいなかったら知らない世界があった。会の母たちのつながりも強い」
多くの支えに感謝
渡辺さんの次女は今年3月に7歳で他界した。それでも、死期が近づく中で家族が結束し、小学5年の長女も一緒になってケアに努めた。長女は妹に死が迫っているのを受け入れられずにいたが、亡くなる直前に抱き上げると、泣きながら「すごい頑張ったよね」と声を掛け、懸命に生きた妹に感謝の気持ちを捧げた。
娘を失ったが、渡辺さんは多くの人たちの支えを実感した。「何でも、やってみようよと肯定してくれる人たちのおかげで育てられた。娘はたくさんの人に愛されていた」とし、「ものすごく大変だけど、何かを犠牲にして育児しているわけじゃない。子育て頑張ってるね、と思ってくれる世の中であってほしい」と願う。
個々に合うケアを
医ケア児の支援をめぐっては今年に入り法制化されたのに伴い、自治体や学校などの責務が明文化された。
法制化はケアにとって前進ととらえつつも、親の会では医ケア児の親として吸引や経管栄養などの医療的ケアへの理解が進んでいない現状を挙げ、個々のニーズに合った対応を訴える。健常児と障害児で違えば、障害児も10人いれば10人とも違い、対応も一律のルールだけでは補えないからだ。
渡辺さんは「会として声を上げ、ニーズを拾ってもらい、当事者の声をくんだ法律、支援などが一人ひとりのニーズに合うように、更新され続けていくことを望みます」と願う。その上で、「医ケア児の親たちは皆戦っているので、まわりの人たちにはぜひ寄り添って、温かい目で違いを認めてくれるとうれしい。家族はそれで救われまた生きていけます」
医ケア児を育てる親たちの、たゆみない願いだ。
|
<PR>