今年は「巳年」。相模原に関連する「蛇(へび)」にまつわる、こぼれ話。今回は相模湖地域に伝わる「白蛇伝説」について――。
相模湖の東側に浮かぶ小さな島。嵐山洞門の近くに位置するこの島は、1947(昭和22)年に相模湖ができる以前は陸続きの小山で「丸山」といっていたそうで、今はその頂上付近のみが湖上に顔をのぞかせる。島の廃墟のような建物は1964(昭和39)年の東京五輪の際に建てられた審判塔だという。
戦国時代には山城の一郭の要塞地であったといい、その真下は断崖絶壁で相模川が流れていた。そこには大きな青い渕があり、上の方には岩塊が突き出していたことから「蛇岩」と呼ばれていたという。
この岩には日中、雌雄2匹の白蛇が現れ、夏は水浴びをし、冬は背を干して日向ぼっこをしていたそうで、地元の人々は「白蛇弁天」「白岩弁天」といい、弁天様の化身だとも、使者だともいわれたそうだ。
弁天様の化身だという「白蛇」が人間に化けて、道行く人々に親切を尽くし、ある時は道案内をしたり、ある時は遊郭があった吉野宿へ遊びに行く若者を諭したという伝説が残っている。しかし、若者も説得には屈せず、以下のような都々逸(どどいつ)が歌われたという。
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▽協力/相模原市文化財保護課 ▽参考文献(一部転載)/相模湖町教育委員会編「郷土さがみこ第八集」
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