相模原市出身で双子の女性画家、山本松枝・梅枝の作品がこのほど、遺族である梅枝の娘たち(長女・工藤澄子さん、次女・宝槻ひろ子さん、三女・大貫晴子さん、四女・松本さえ子さん)の手によって、山本姉妹と縁がある老人福祉センター渓松園(大島)に寄贈された。
同園の設立50周年記念イベントの一つ、まちかど講座「相模原の美術史」を開いたのがきっかけだった。講師のアートラボはしもと美術専門員・柳川雅史さんが相模原の女性画家の先駆者として山本松枝・梅枝姉妹を紹介するにあたり、遺族である梅枝さんの娘たちに講座で使用する作品について相談を持ち掛けた。娘たちは各自の家で保管していた作品の中から『籐を編む』(松枝作)と『どくだみ』(梅枝作)の2点を資料として提供。かつて松枝・梅枝姉妹は同施設で日本画講座を開いていたことがあり、縁を感じた梅枝の娘たちから「50周年記念のお祝いに絵を贈りたい」と同施設に申し出て講座で貸し出した2点を寄贈することになった。
双子の日本画家
相模原初のプロの作家と言われる山本松枝と、双子の妹の梅枝は1914年に大沢村(現・下九沢)に生まれた。共に女子美術専門学校(現・女子美術大学)で日本画を学んだ後、片野湘雲や安田靫彦に師事。梅枝は結婚・子育てを機にいったん筆を置くが、松枝は日本画に全てを注ぎ、院展などで活躍した。81年、松枝は同施設に日本画講座の講師を頼まれ、梅枝に同行を依頼。ほぼ30年ぶりに筆を握った梅枝は、その時間を取り戻すかのように作業に打ち込んだ。87年に志半ばで松枝が亡くなると、以後約10年、梅枝が遺志を引き継ぎ、講師を務めた。梅枝は96歳で世を去るまで、再び筆を置くことはなかったという。
「多くの人に見てほしい」
生涯独身だった松枝の絵のモデルは、姪や身近な親族だった。「子育てしながら手だけのモデルをしたことも」(さえ子さん)、「柳の枝の代わりにハタキを持ったりね」(晴子さん)と、思い出話は尽きない。今回の寄贈に際して「皆さんに見てもらえるし、うれしい」(ひろ子さん)、「二人を知らない人にも知っていただく機会になる。多くの人に見てほしい」(澄子さん)と語った。荒井哲也所長は「縁ある方の作品を寄贈いただき感謝しています。50周年と来館者200万人達成の機に最高の花となりました」と感謝を述べ、「今後は利用者の皆さまに自由に観覧してほしい」と呼び掛けた。
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