町田と北海道を繋ぐ土偶
縄文時代後期の土偶が町田市の指定有形文化財に新たに指定された。『中空土偶』と名付けられ、田端東遺跡(小山町)で1988(昭和63)年に出土した3300年前のもの。頭部しか発見されていないが、その造形は北海道函館市著保内野(ちょぼないの)遺跡で出土した国宝に指定されている土偶と同じで、ほぼ同時期に作られたもの。町田と北海道を繋ぐ貴重な文化財。その『中空土偶』が今、自由民権資料館で展示されている。
文化財新指定で記念展示
町田で出土した中空土偶は、厚さ3㎜ほどの中空構造で、首から下は全く発見されていない。頭部の高さ7cmで、「せり上がった眉、コーヒー豆型の目、分厚い唇、顔面から頭部に走るミミズ腫れ状の極細隆起線文が特徴」と町田市教育委員会生涯学習部の学芸員・川口正幸さんは話す。
川口さんは田端東遺跡発掘調査の現場担当。中空土偶を発見した時は、「顔を伏せた状態」で土に埋まっていて、「短い足とお腹かな」と思ったという(右下写真参照)。しかし丁寧に掘り起こし、全体が分かると「凄い土偶だった」と当時を振り返る。
町田で発掘された中空土偶は国宝のものと瓜二つで、T字型の眉や顔面に走るミミズ腫れ状の極細隆起線文も一致する。「同じ技術と思想を持った集団が製作したものと言えます。当時の縄文人の活動範囲の広さ、宗教観などを伝えてくれる」
特徴である頭部に直立する太い2本の筒状の造形は、髪型を強調したデフォルメが用いられ、また焼成上の空気抜きを兼ねたものだと思われている。
同形状のものは土器の把手(とって)部分などで見られるが(宮城県など)、土偶としては町田と北海道のものしか発見されていない。
「町田で発掘された中空土偶が胴体部分も含んでいれば、北海道のものと同じように国宝に指定されたでしょう」と川口さん。
「町田や北海道で発掘された中空土偶も現地で焼かれたものではなく、東北のどこかで制作されたものが、北と南に分かれて伝わった。当時はそのような交流が行われていたのではないか」と川口さんは分析する。宗教観については発掘された場所が集合墓地に近接していることから、「何かしら儀式に使われたのではないか」と考えられている(関連記事「町田にあるストーンサークル」参照)。
選りすぐり70件約200点ギャラリートークも
現在、市立自由民権資料館(野津田町897)で開催されている「町田市考古セレクション2」(6月8日まで)では、中空土偶のほか、市内最古(1万3000年前)の縄文草創期の深鉢形土器(隆起線文系・なすな原遺跡)などの市指定有形文化財のほか、当時の彩色が鮮やかな耳飾りなどの装身具、縄文中期後半から晩期までの土偶、クルミや動物を模した土器、造形的に複雑でデザイン性あふれる深鉢形土器などが展示されている。また石斧や石鏃などの実用石器も多数見ることができる。会場ではカラー写真による充実した展示リスト(15頁)がもらえる。
5月10日(土)、5月24日(土)には川口正幸さんのギャラリートークも行われる。午後2時から1時間程度。無料。詳しくは同資料館【電話】042・734・4508へ。
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