今から70年前、鶴川中学校は1947(昭和22)年の6・3・3制の実施に伴い、鶴川村立として設立された。鶴川小学校の7教室を仮校舎として、学級数8、生徒数339人の新制中学校となった。初代校長は井上幸知氏。
翌48(同23)年、現在の鶴川市民センターのところに新校舎が建設された。この時代は国および地方財政はひっ迫しており、総工費252万円のうち、230万円は村内の有志の寄付金やバザーの売上によるものだったという。また建設も地元の青年団が率先して行い、まさに地元の子どもたちのために、地元が一丸となって作った学校だった。
この年、3年生として初めて、日光に修学旅行に行った。49(同24)年、ピアノを購入して披露会を開催。ピアノ購入費15万円、披露会費1万円すべてが村内の寄付。また茶の実集めを行い、校門より玄関までのコンクリートたたきが完成。茶の実22俵5升、売上金1万2千円だった。50(同25)年には講堂および工作室が完成した。
58(同33)年には町田市制施行に伴い、「町田市立鶴川中学校」と校名を変更。63(同38)年には給食調理所施設が完成。「当時は栄養のとり方が少なく、改善するために給食を取り入れたいと思いましたが、当初は3分の2が反対。のちに賛成者が増え、実現しました。給食費は月700円、負担も大きかったようです」と当時PTA会長の小林美津子氏。
65(同40)年、鶴川団地の誘致と区画整理により、鶴川中学校の用地に進入道路の建設、団地入居者により学校が手狭になることなどから、鶴川第一小学校跡地に移転計画。67(同42)年9月、新校舎完成、町田市で初の鉄筋4階建校舎となった。場所は現在の子どもセンター「つるっこ」。
69(同44)年、生徒数が700名を超える。浄化装置つきプールも完成し、翌年、体育館が完成。
72(同47)年、生徒数は800人を超す。鶴川二中が発足し、三輪町、能ケ谷町、鶴川一、二、六丁目および五丁目の一部が鶴二中の学区となった。この年の生徒数は分校したため500人を割ったが78(同53)年には900人になり、翌年に1000人を超えた。
80(同55)年には、真光寺中が発足し、鶴川、小野路町の一部が学区を離れた。84(同59)年、金井中が開校し、学区も変更された。96(平成8)年ごろより公共建築に対する耐震強度の規制が厳しくなり、校舎の耐震結果が芳しくなかったため、01(平成13)年、小野路町に教科教育型の新校舎が建てられ、翌02(平成14)年に移転した。旧校地の4割程度が安全寺の寺領だったので、その分は市から寺に返還され、残りの敷地に現在の子どもセンターつるっこが建設。
この70年間に3度の引っ越しがあり、多くの人の手で支えられた鶴川中学校。
※大蔵町町内会創立50周年記念誌、同校40周年記念誌など引用。
![]() 現つるっこに建てられた2代目校舎(68年当時)=上、現在の校舎(03年)
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