宮司の徒然 其の86町田天満宮 宮司 池田泉
ツユクサ
ツユクサは露草と書き、朝に咲いて夕方までにしぼむことから、夏の朝露のイメージで露という字が当てられたのだろう。花の青い色素が服に着きやすいことから着き草と呼ばれたり、蕾がガクに包まれている形が半月状だからか、万葉集では月草とも呼ばれていた。小学校の図画の授業で近くの林に行き、露草の花を摘んできてつぶし、青い絵具として使ったことがある。また、最近はパスタなどに彩りがほしいときに、花に近い若葉を摘んできて炒めて混ぜたりする。若葉はたくさん採れればおひたしにしても軽いぬめりがあっておいしい。
人間は欲張りだ。花を愛でて、絵具にしたり食料にしたり。ただしツユクサは野菜として売られてはいない。スベリヒユやカラスノエンドウのサヤもそうだが、食材としての条件を満たさないからだ。栽培の手間に見合う収穫量の問題だ。私のような酔狂な人間が一人分をせっせと採って楽しむ程度のレベルということで、おいしいが小さくて採るのに手間がかかるキノコも同様だ。もしもスイカがタマゴくらいの果実だったなら、農作物になっていなかっただろう。もっとも、スイカはギリシャ・ローマ時代、果肉ではなく種を食べていた。だから農民は種がたくさん入っているスイカを作る努力をしていた。やがて果肉が好まれるようになると、反対に種の少ないスイカへの品種改良がされるようになる。種苗屋さんで「種なしスイカの種ください」という笑い話も生まれるほどに種は少なくなった。
ツユクサの青い絵の具は着いても洗えば落ちやすいから、古来から染物の下絵に使われた。若葉は食用になるし、根ごと抜いて乾燥させたものは下痢止めなどの薬草にもなるから、ずいぶん役立ってきた草だ。ど素人考えだが、植物はコロナにかからない。生物は進化して魚類・鳥類や哺乳類と進化するほどに、細菌やウイルスが増殖することのできる体になっていく。植物にはそれらがすめる組織がないということなのか。人体の薬になる上にコロナにも影響されないのだから、人間が植物のいいとこ取りをできないだろうか。あ、また人間ならではのわがままな欲になってしまった。
目に見えないちっぽけな生物に、自然からしっぺ返しをくらっているように思えるこの1年半。それでも生物は生きたいと欲するのが本能だから、人間も戦うしかない。8月6日と9日は、広島、長崎で必死に生きていた多くの人々が、世界で初めての核の閃光を浴びた日だ。生きたい多くの人々が命を奪われるのは、戦争も疫病も同じこと。過去か現在進行形かの違いはあれど、戦争は太古から続いてきた人間が引き起こす欲望の間違った表現。そんな過ちの歴史を深く反省する場でもある式典で、代表の挨拶文を読み間違える人の指図に振り回されるより、一人一人が原点に立ち返って、穏やかな生活に戻る努力をすべきだと思う。ロックダウンしなければ止められないのかもしれない。もちろんある程度の覚悟は必要。経済は壊れてしまうし、それはそれで立ち直るには相当かかるに違いない。ただ、未来のある若者が感染して、重症化しなくとも重い後遺症に苦しむようにはなってほしくない。日本の未来のためには、年寄りよりも若者や子どもが大切なことは当たり前なのだから。
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