幕末期に結成された彰義隊の頭並・天野八郎が小野路を訪れていた――。そんな内容を示す史料が小野路町にある小島資料館(小島政孝館長)で発見された。天野八郎に関する新たな史料で、小島館長によると96年ぶりの新発見となる可能性があるという。
彰義隊とは、鳥羽伏見の戦いに敗れた将軍・徳川慶喜を警護する目的で結成された。浅草本願寺(のち上野寛永寺)を屯所とし、隊員が増えるにつれ新政府軍との対立を深め、最終的に戦い壊滅したという。
今回発見されたのは天野八郎が小島鹿之助(当時の小野路村名主)に宛てた来訪予告状。鹿之助が日々綴っていた小島日記にも来訪当日の様子が「御地頭所より大野七郎馬にて来る」と書かれていた。小島館長によると、日記に「大野七郎」が登場することは把握していたが今回の書簡の筆跡から「天野八郎」と同一人物である可能性に注目。慶応3年の史料『地頭山口家財政録』を紐解いたところ「元騎士天野八郎こと大野七郎」とあり、肩書は「御借財其外周旋方」、住所は「下谷妻乞下大関侯の向い鈴木某借家」となっていた。つまり、天野八郎は彰義隊結成前、旗本山口直邦家の臨時用人として雇われており、身分は旗本ではなく微禄の扶持だったという。「結成直前の様子がわかるとは非常に驚いた」と小島館長。
史料は現在、京都文化博物館で開催中の「新選組展2022」で公開展示されている。
町田版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|