震災から 半年 今なお続く、放射能汚染と向き合う 若い人を被曝させられない
福島第一原発が爆発し、放射能汚染は未だ収束する気配はない。「福島原発行動隊」という組織をご存じだろうか。60歳以上の現役を卒業した人たちが、今後必ず必要となるガレキ処理など被曝する恐れのある作業を若い人たちに変わり、自分たちが行動しようと立ち上げた組織だ。9月2日現在、この活動に賛同し、隊員となっているのは全国から集まった524人。その中の一人・渡辺寿氏(町田市在住で映画監督・脚本家)に参加した思いなどを聞いた。今は政府や東電と交渉しながら、自分たちが行動する時を待っている。
5月の初旬、このプロジェクトを知り、すぐに申込みました。若い人が被曝するくらいなら年寄りが被曝した方がいいじゃないか。その思いで応募した。僕は放射能の専門家でもないし、技術者でもないけれども、震災直後から子どもたちのために何かしなくてはと漠然に考えていたが、どうしていいか分からなかった。
自分の宣伝になるようで申し訳ないですが、江戸時代の寒村を舞台にした映画「わらびのこう」のシナリオを書いたことがあります。数年に一度、飢饉が来る。還暦を迎えたお爺さんやお婆さんが子や孫のために自らの命をささげるという内容ですが、今回の原発事故は共通するところがある。若い人たちのために年寄りができることを改めて考えさせられた。これは悲壮感ではなく、「誰かのために」という思いなのだと思う。
今回のことで死ぬことはないが、どうせ誰かが被曝しながら作業をしなければいけないなら、若者にやらせてはいけない。わらびのこうで書いたことと基本的に同じこと。書いたからには責任を取らないといけないと思った。
特攻隊ではない
1971年に20歳になった。そのころに原発が急速に建設された。その時に建てられたものが今の福島原発。当時、反対運動はあったのだろうけど、まったく関心がなく見過ごしてしまった。無関心は一番いけないこと。その福島原発が今、放射能を放出している。その責任の一環は僕にもあるのだろう。
行動隊のことを映画のアルマゲドンに例える人がいるが、あれは物語。全く違う。僕たちはヒーローなんかでは決してない。また、特攻隊だという人もいる。特攻隊は”若い人”を犠牲にして年寄りが安全なところにいた。若い人を死なせた特攻隊ではなく、若い人を救うのが行動隊。だから特攻隊でもないし、命を犠牲にしようとは思っていない。この行動隊にはそんな悲壮感はないと思う。
悲壮感を持って活動することはない
父も母も他界し、僕は一人ものなので、誰にも相談せずに行動隊に応募した。友だちにこのことを伝えると「俺もやる」と言っていましたが、断りました。なぜなら家族を悲しませてまで、やることはない。悲壮感でやってはいけないと思う。また20年後30年後に影響がでるかもしれないことを30代、40代がやるべきではない。これは僕たちの年代だからできること。
今回の行動隊を映画にしようとは思わない。原発が収束して、自分自身でじっくり振り返られる時間があれば、映画にしようと思うかもしれないが、作業の真っただ中で映画のことは考えられないだろう。ただ、この行動隊の活動は映像に残しておくべきだとも思う。映像は映った色々な物事を伝えられるので、記録した方がいい。自分自身、ドキュメンタリーを撮ってきたわけではないので、同時進行的な事柄を撮影するのではなく、活動が全て終わり、自分自身の中でこの事柄を消化できればとも考えるが、今はまったく映画化は考えていない。
現在行動隊は、政府や東電に対して、自分たちができることを提案書として提出し、僕たちの活動を許可してもらえるのを待っている状態。政府が主体となって動いてくれれば、早く活動できるのではないかと思う。
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