1964(昭和39)年10月8日、前日の雨で道がぬかるんでいたが、町田市内を走る聖火ランナーたちは無事、役目を果たした。当時の由木村の境だった御殿山と八王子市境の権現谷の間の、相原地区を通る4区間7Kmを聖火ランナーと随走者合わせて92人が聖火を繋いだ。
「ここに写っているのは俺だな。それに須田も市川もいる」
原町田在住の大塚光明(65)さんは町田二中の陸上部主将だった3年生の時、聖火リレーの隋走者として参加した。大塚さんに当時の様子や、5年後の東京オリンピックについて聞いた。
――市役所に残っていた写真です。どうですか。
「懐かしいね。次の中継所で聖火を渡した後、トーチを持たせてもらった事を思い出した。重たかったね」
――当時はどのような時代でしたか。
「60年代初めは、まだ町田駅周辺にも一部畑が残っていてね、家の前はトウモロコシ畑だったよ。高度経済成長の真っただ中でね、全てが『前へ、前へ』と進んでいた時代。社会の中の小さな歯車がオリンピックという『大きな歯車』によって一気に加速した様な気がするよ」
――オリンピックは観に行かれましたか。
「10月14日に行われた陸上競技の1日目に、代々木のオリンピック会場に観に行った。10000mの決勝に円谷幸吉選手が出場していた。6位だったんだよな。そして優勝はクラークだったね」
――(復刻した当時の写真集を見ながら)クラークは3位ですね。
「えっ、ミルズが優勝?ずーっとクラークが優勝したと思っていたよ。デッドヒートだったのは覚えていたんだけどね」
――特に印象深いのは。
「一番の強く記憶に残っているのは、バラバラになって会場になだれ込んできた閉会式だね。何かとても感動した。国境の垣根を超えて、選手たちが楽しそうに閉会式を迎えた。これまで色々な閉会式を観たけど、東京オリンピックの閉会式が一番だよ」
――50年前、世の中を動かす「大きな歯車」だったオリンピックということですが、2020年のオリンピックは、どういう役割が望まれていると思いますか。
「今のはよく分からないね。歌や踊りも派手で、レーザービームみたいに外見ばかり立派なものになっている気がするよ。もっとアナログで、いいんじゃないかな。アナログなオレが言ってもしょうがないけど」
――20年のオリンピックは楽しみじゃないですか。
「いや、あまり楽しみではないね」
――お孫さんに「じっちゃんは聖火ランナーだったんだぞ」って教えたりは?
「たぶん、言わないんじゃないかな。子どもたちにも言った覚えもないし。
あっ、娘がアメリカに留学していた時の友だちがオリンピックの時には日本に来てくれるはず。ホームステイしてもらって、一緒に観に行きたいね」
――他の国の人たちとの交流も楽しそうですね。
「オリンピックって、こういうことなんだろうね。派手な演出などではなくて、手作りのものが一番だよ。手と手が触れるような交流ができることが、オリンピックの一番いい所なんだろうね。そういうことが、子どもや孫に体験してもらえれば、大成功なんだろうね。デジタルな時代にこそ、アナログな交流が一番かっこいいのかもね」
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