初マラソンに挑んだ町田市出身の関根花観選手=日本郵政グループ(JP)=は11日、名古屋ウィメンズマラソン(ナゴヤドーム発着点=42・195Km)に出場し、日本人トップの3位(2時間23分07秒)となり、初マラソン歴代4位となる好成績で走り切った。リオ五輪を経て、東京五輪に向け大きな一歩を踏み出した。
「ラストの10Kmは何度も心が折れそうになりました」。レース後、記者会見でそう振り返った。
2年前、リオ五輪1万mに出場し、世界の”速さ”を実感した。『もっと速く』と練習を重ねたが、「五輪後は、心と体がマッチせず、追い込むような練習もできなかったです」というように、大会でのタイムも伸びず、17年の世界陸上の切符も逃した。「苦しい一年だった」と17年を総括する。
「マラソンで五輪出場」は陸上を始めた中学1年生の時からの夢だ。このような体調の中、国内合宿やアメリカでの高地合宿で本格的にマラソンの練習を始めた。「マラソンの練習をちょっと甘く見ていたかもしれない。本当に辛い練習だった」。疲労が蓄積している体で更に練習が続く。体をリフレッシュさせ軽い状況になってから追い込む1万mの練習とはまったく違っていた。
ラスト10Kmから心が折れそうになったとき、「マラソンは苦しい後に楽になるときが来ると教わっていたので、それを信じて。あと、練習で50Km走もやってきたので、それに比べればあと数キロと思って走っていました」とコメントし、「ゴールすれば苦しい練習もやっと終わる」と笑った。
レース全体を振り返り、ペースメーカーがいる25Km地点までは、「何も考えずついていくだけ。できるだけ体力を温存したかった」。ペースメーカーがいなくなると、エチオピアのアセファ選手とケニアのジェメリ選手が抜けだす。「ついていくか迷いましたが、ラストまで体力が持つか自信がなかった。自分のペースを信じて走り続けました。最後までペースが落ちなかったので今回はこれで良かったと思います」。指導する高橋昌彦監督は「ひとり旅になった25Km以降もペースを落とさず、練習してきたことができたと思います。今の状態は70%くらい。これからもっと伸びます」と期待を寄せていた。
「JPのみんなや豊川高校の仲間たち、町田での恩師、友だち、親戚など沿道で多くの人が応援してくれて本当に嬉しかったです。おかげで次のステップに進めることになりました。また頑張ります」と関根選手。
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