いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会を主催する 齊藤 勉さん 元八王子在住 57歳
歴史研究30年 語り継ぐ使命感
○…「戦闘機による空襲は、被害は比較的少ないものの、相手国民に恐怖心を与える側面が強い」。P51は大人でも子どもでも容赦なく狙った。その中でも50人以上の死者を出したと言われる湯(い)の花トンネル(裏高尾町)の空襲から70年。「高齢化もあり、やめようという意見も出ますが、不思議なことに、被害者の孫や親戚など新たな関係者や興味を持ってくれる人も増えるんですね。だからやめられない」
○…大学を卒業してすぐに市教育委員会の非常勤職員として戦後40年の節目の資料を編纂した。「湯の花トンネルの被害者の名前は、最初は2人しか分からなかったんです」。街への空襲と異なり列車の場合は乗車している人のほとんどは赤の他人。被害者の特定は容易ではなかった。供養のための座談会を開催し、メディアに掲載してもらうことで情報を集め、結果的に40人分の名前が判明した。一緒に資料を編纂し、その後は慰霊祭の会長を務めた細川武雄さんが1995年に亡くなる前にお見舞いに行ったのがひとつの契機に。細野さんの最期の言葉はほとんど聞き取れなかったというが「意思を引き継ごうと思った」
○…都立高校で日本史の教員を務めるかたわら、郷土史家としても活動。休日はあちらこちらを調べたり、講演に呼ばれたりと多忙な日々。市民へ取材の際は逆に感謝されることもあるそう。列車銃撃は30年以上研究しており、これまで判明していなかった列車を襲ったP51が4機だったと3〜4年前に確定できた。
○…今年で慰霊祭は32回目を迎える。今回は日記や体験記、資料をまとめた100ページほどの書籍も配布する予定だという。「振り返ってみると、やってよかったと思う。活動しなければ世間に忘れられていたかもしれない」。毎年苦労するが、自分しかやる人間がいないと思い定めている。「もって生まれた役回り。天命かも」
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