76年前のきょう、太平洋戦争末期の8月5日に裏高尾町で米軍機による「いのはなトンネル列車銃撃」があり、乗客60人以上が亡くなった。今年も慰霊の会による献花がある。
京王バスのバス停「蛇滝口」近くにある慰霊の碑の犠牲者の名前を指しながら「この方は、妹さんと一緒に列車に乗っていて、妹さんは無事でした。お母さんは90歳くらいで同じく8月5日に亡くなりました」。そう話すのは「いのはなトンネル列車遭難者慰霊の会」の会長の齊藤勉さん(63/元八王子町在住)。齊藤さんは遺族ではないが、列車銃撃の調査を通して遺族や関係者と交流。3年ほど前から会長を務めている。
1945年の8月5日の昼過ぎに、浅川駅(現在の高尾駅)を出発した国鉄・中央本線の新宿発長野行き下り列車が湯(い)の花トンネルにさしかかったところで米軍機から銃撃を受けた。警察発表では52人が、齊藤さんによると「その後に亡くなった方を入れると60人以上」が犠牲になった。
犠牲者の名を明らかに
齊藤さんは、大学卒業後に非常勤職員として市による「八王子の空襲と戦災の記録」の編纂にかかわった(1981〜85年)。その中で「亡くなった人の名前を明らかにすること」を目指したという。市街地への空襲は「誰々さんが亡くなった」と近所から情報を得られるが、乗り合わせただけの乗客が多い列車の場合は犠牲者が特定しづらい。新聞記事で呼びかけた結果、数年かけて48人の名前が判明した。山梨県の人が多く、長野県や渋谷、北海道の人もいた。一方で、近年では、情報も途絶えてる。
50年に地元青年団による供養塔ができ、92年には東京八王子南ロータリークラブの協力で碑を建立した。
取材をした7月28日には、近所の人によるものか、碑の前には花が添えられていた。
今年も8月5日に38回目の慰霊の集いがある。
「コロナ禍ということで昨年に続き、今年も集合はせず、献花のみの実施です。少し寂しいですけどね」と齊藤さん。
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