太平洋戦争中の76年前に発生したいのはなトンネル列車銃撃の慰霊の会が、惨事のあった同じ日の8月5日、裏高尾町の慰霊碑の前で行われた。
例年、近くの会館で語りの会も行われるが、昨年と今年はコロナ禍のため、献花のみとなった。
自身も同じ列車に乗っていて、姉を失った黒柳美恵子さん(91/大田区在住)も参加した。当時、姉と一緒に大田区の女学校に通っていたという黒柳さん。戦争が激しくなり、学校も空襲で焼けてしまい、学徒動員で鎌田の工場で働くようになった。夏休みに入るということで、長野県の母の実家に行く途中で銃撃にあった。
慰霊の会を主催している「いのはなトンネル列車遭難者慰霊の会」の代表を務める齊藤勉さんは「本当に紙一重の違いが生死を分ける状況だったと思う。当時は情報も不足していて『夏休みも戦争も終わったのに息子が帰ってこない』という遺族が、探し回って遺骨を見つけたことも。こういう人が何人もいる」と話した。
今年は暑さとコロナ禍でこれまでよりも参加者が少なかったが、例年、70人ほどが慰霊に来る。年々遺族は減っており現在、10人未満。一方で、毎年10人ほど新しい人が訪れるそうで、齊藤さんは「関心を持ってもらえありがたい」と話す。
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