小学生からプロを目指していた羽田選手が八王子高校へ進学した理由は同校の「文武両道」の方針だったという。
安藤監督は入学当初、「がむしゃらにやることに物足りなさを感じていた」と、印象を話す。高校2年生の秋、「大学へ進学し、その後プロに」と話す羽田選手に対し「高卒でプロにいくという覚悟を決めてやってみたらどうか」とアドバイスしたという。
エースとして実績を積み、プロへの手応えを感じていた矢先に左ひじを負傷した。秋大会の準々決勝のマウンドに立てなかった。羽田選手は「自分が投げないで負けてしまい、いろんな人に迷惑をかけた。この借りを返す思いで、長い日々を黙々とトレーニングするだけだった」と当時を振り変える。
主将を務めた新田優樹さん(3年)は冬の間、1人走り込む羽田選手を見ていた。「実力は飛び抜けているし、やるべきことを一生懸命やるやつ」と評した。
3年春大会では、球速149キロを記録。同大会は羽田選手にとって高校最後の公式試合となった。3年間バッテリーを組んだ捕手の柳元珍さん(3年)は、「自分で考えて工夫ができる投手だった。面白く元気な性格。また一緒に組みたい」と話す。
同じ投手の渡邉凜之介さん(3年)は羽田選手とはライバルでケガをしない投球フォームの研究など切磋琢磨してきた。寮の夕食がない日曜日は、よく近隣の中華料理店「金山村」に行ったのが思い出。渡邊さんは「人としても野球選手としてもでかい選手になってもらいたい」とエールを送る。
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