多摩市と府中市を結ぶ交通の要所として長年利用されてきた「関戸橋」。現在、老朽化に伴う架け替え工事が進められている中、東京都はこのほど、地元住民の要望を受けて、同事業の一環として多摩市と連携して、役目を終えた関戸橋(下流橋)の一部と、歴史などが記された解説板をろくせぶ公園(関戸2の63)に保存・設置した。地元住民は「橋を残してくれて嬉しい」と喜びの声をあげた。
関戸橋は、1937年9月3日に現在の多摩市と府中市を結ぶ多摩川の架橋として開通した。開通する以前は、「関戸の渡し」が設けられていたものの、台風や大水の際には舟を出すことができず、渡河に苦労していたという。またこの辺りは、日本でも有数の鮎の猟場で、明治天皇をはじめ多くの人たちが鮎漁や鵜飼の見学に訪れていたが、35年頃には漁獲高が減ったため鵜飼も行われなくなり、来訪者も減っていた。
そうした中、多摩村の住民らは、交通路の整備と村の経済の活性化を図るため多摩川架橋を求める運動を行い、37年に待望の関戸橋が開通。長さ375・8m、幅8・8m、13連結のコンクリート橋は、当時の同形式の橋としては国内屈指の規模だったという。また橋脚ごとに橋灯付きのバルコニーがあるデザインは、国内でもわずかに数例しかなかったという当時では珍しい橋だった。
71年には、交通量の増加に伴って上り専用の橋が増設。これまでの関戸橋は下り専用として利用されてきたが、老朽化によって架け替え工事が決定。2018年に81年にわたる役目を終えた。
「思い出のある橋」
橋の取り壊しが決まった際、住民説明会で関戸自治会の住民らは「歴史のある橋を残してほしい」と要望。都は、架け替え事業の一環として、多摩市と連携し多摩市側の親柱一対とバルコニー部分一カ所、左右の欄干部が、川崎街道「健康センター入口」交差点のそばにある「ろくせぶ公園」に保存されることが決まった。併せて、橋の歴史や写真、保存される経緯などが紹介された解説板も設置されることとなった。
関戸自治会の川久保准一さんは「子どもの頃、プールのない時代に欄干下の川で遊んでいた。みんなの思い出が詰まっている橋なので残してくれて嬉しい」と喜ぶ。同自治会の中村洋一会長は「地域の意見を受け入れてくれて、橋の形状で残してくれてありがたい」と話す。同自治会のメンバーで、せいせき観光まちづくり会議の座長を務める森田利夫さんは「『関戸の渡し』や鮎が採れたことなどが記された貴重な資料。今後、まちめぐりなどの観光資源として活用していきたい」と今後について語った。
なお、架け替え工事が終わった後には新しい橋の近くにこれらの保存場所を移すことが検討されているという。
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