「神奈川大和阿波おどり」の歴史は、「新橋連」なしに語れない。新橋通りの商店会が商店街の振興を目的として1977年に始めたのが、神奈川大和阿波おどりの始まりだった。
「ヤットサー、ヤットヤット――」7月上旬、市内の体育館にはお囃子に合わせて練習をする新橋連の姿があった。現在の隊員数は80人。5歳から80代まで、市内外から参加者を受け入れている。隊員の中には、3世代で新橋連だという人がいることからも、その歴史の深さを感じさせる。
新橋連の連長である武井康時さんは10歳のとき、第1回の阿波踊りを見ていた。「恥ずかしいのか、サングラスをかけて踊っている人がいて、かえって目立っていたのを覚えている」と当時を振り返り笑顔に。けれども今や、大和を代表する祭りの1つ。関東3大阿波踊りにも数えられることもあるが、「他の2つ(高円寺、南越谷)は盛り上がりがすごい。大和も負けないように頑張らないと」と武井連長の理想は高い。
新橋連が目指すところは、阿波踊りの本場・徳島にも認められる阿波踊り。合同連(あずま連、蜻蛉連、新橋連)で徳島へ遠征することもあるというが、現地に行くと踊りの奥深さを思い知るという。「徳島の人に『阿波踊りっぽいね』と言われたことがあります。簡単だけれど奥が深いのが阿波踊り。本場の踊りを伝えていくのが私の役目です」
40周年を迎える今回の阿波踊りでは、伝統ある新橋連への注目も高い。今年の演舞について「今後10年、20年と続けていくための、新橋連のベースになるようなことを発表したい」と連長は意気込む。
一歩出して半歩下がる阿波踊りの足の運びのように、伝統を守りつつ着実に未来へ前進していく新橋連。熱気でいっぱいの体育館から、その本気が伝わってきた。
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