黄綬褒章を受章した 原 宣幸さん 下鶴間在住 70歳
「人が財産」貫く仕事人
○…「『原さん、この問題はどうしたらよいでしょう』と色々な業界の方から助言を求められることも。ただの水道工事業者なのにね」。22歳で創業し約半世紀。全く仕事がなく、縁のない大和でも幅広い人間関係を築いて成長できたのは「人が財産、お金は財産ではない」という信念があったから。「信頼がないと仕事はこない。人が嫌がる仕事でもすっ飛んで行って真面目に働いていると、誰かが見ている。口よりも行動で示すことが大事」と仕事の流儀を語る。
○…福岡県の炭坑町・田川生まれ。日本全国から炭鉱夫たちが集まって活況を呈し、誰でも分け隔てなく味噌や醤油の貸し借りをする近所づきあいだった。中学3年の頃、石油の台頭で炭坑が次々と閉山。一家は横浜に越すなか、工業高校建築科への進学が決まり一人九州に残った。新聞配達や豆腐売りに明け暮れる生活だったという。
○…高校3年の冬、上場企業の建設会社への就職が決まり、他の建設会社で働いていた兄の現場を見学したときのこと。ある設備会社の社長に声をかけられ心が動いた。「命の源である水を繋ぐ水道工事は絶対に必要な仕事だと懇々と語ってくれ感動した。周囲の反対を押し切り、内定を断って水道工事業に進んだのです」。今でも水道工事への思いは変わっていない。
○…水道管の老朽化、人手不足、自然災害、水道法改正…。水道業界は様々な課題を抱えて岐路に立ち、業界のリーダーとして頭も体もフル稼働の日々が続く。趣味のゴルフもしばらくお預け。ただ疲れは一切見せない。「全国の首長や大学教授と出会い日本の未来について意見交換できるのは楽しい。経験していないことに挑戦するのが好きなのは、若くして独立した頃から変わってないな」と笑って見せた。
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