2020年6月21日から軽井沢で開催される「国際小児脳腫瘍学会(ISPNO)」。市内西鶴間で整体院『壮健堂治療室』を経営する高木伸幸さん(47)は、この会場で国境を超えて患者同士のつながりを持とうという交流会『ファミリーデー』を開催するための活動を始めた。7月には、病気への理解と広報を含め、クラウドファンディングで1万人拡散と運営資金を募った。
突然の余命宣告
高木さんは2013年11月、当時11歳の愛娘・優衣奈さんを小児脳幹部グリオーマ(DIPG)という難病で失った。「余命1年」を宣告されてから、僅か11か月後のことだった。
DIPGは、脳幹部に発生する悪性の腫瘍。国内での年間発症数は50例ほどと少なく、発症から1年以内の死亡率が50%と、小児がんの中でも最も厳しい病気といわれている。
若い頃にボクシングの経験を持つ高木さんは、娘のふらつきや目の動きを見て、「もしかしたら」と脳の異常を懸念し、病院へ。悪い予感は的中、総合病院でのMRI検査を勧められ、脳幹部の出血、そしてDIPGであることが告げられた。
余命1年-
「展開が早く、ついていけなかった」。高木さんは当時の自身を正直にそう振り返る。
”神の手を持つ”といわれる脳外科医でも摘出手術ができず、治療法がないDIPG。放射線治療も、一時的な快復(寛解)が見込めるだけ。「寛解の時期をハネムーン期というそうで、そこで沖縄旅行に行きました。泳いだり、走り回ったりする姿を見て、本当に病気?このまま治るのでは?と思いました」(高木さん)。
難病に侵された我が子を助けたい思いが募る一方、病気を取り巻く環境の不備や理不尽な対応が、高木さんの心に追い打ちをかける。専門医や研究機関の少なさ、小児在宅医、訪問看護師の不足。障害認定は「ハネムーン期を過ぎると介護が必要な症状になることが分かっていながら、『身体に麻痺症状など障害の固定が確認できないと認定できない』」と断られたという。実は、DIPGに限らず障害認定の基準に合致する完治不能の病気では障害の固定に関係なく、早急に障害認定することになっているが、医師や行政担当すら知らない現状が、浮き彫りになった。
知ってしまったこと変えていかなくては
娘さんの死後、高木さんは、小児がん患者の環境整備のために立ち上がる。小児がんの医療費助成や申請手続きの迅速化、研究費の増額などを国に求めるため、単身署名活動を始める。
高木さんの活動を、同じ病で子どもを亡くした家族の会「小児脳幹部グリオーマの会(埼玉県/貫井孝雄代表)」も協力、一緒に署名活動を行った。さらには、孫を同じ病気で亡くした歌手の菅原洋一さんが支援。2016年9月、菅原さんはチャリティコンサートを開き、その会場で、元日本医師会副会長で当時自民党厚生労働部会副部長の羽生田俊(たかし)参議院議員に署名を提出。翌10月には、羽生田議員の紹介で塩崎恭久厚生労働大臣(当時)と面会。2万2千筆を超える署名と共に、小児脳腫瘍の研究体制の確立や障害者認定の迅速化、ドラッグラグの解消などを求める要望書を提出した。
わが子の死という辛い現実。その一方で託された大きな宿題。その両方に逃げることなく対峙する高木さん。「娘を広報に使うみたいで心苦しかったが、娘の病気で知ってしまったことは、変えていかないと。大人が動かないと、子ども達は声を上げられないから」
2万8千人に拡散 更なる支援求める
国際小児脳腫瘍学会では、各国の患者会と情報交換できる『国際ファミリーデー』が併設される。
「DIPGなどは症例数が少なく、研究も患者とその家族の過ごし方についても情報が不足している。ファミリーデーで、海外の患者会と情報交換することで、治療法や研究の進展、ファンドの活用法、患者家族の過ごし方など新しいアイデアが取り入れられ、小児脳腫瘍の子ども達がより良い生活を送れれば」と期待する。
7月に行ったクラウドファンディングでは25万8800円が集まり、28261人にDIPGの実情が拡散された。来年6月のファミリーデー開催に向け、さらに支援の輪を広げる予定だ。
高木さんは現在、整体院の仕事の傍ら、小児がん撲滅を目指す「トルコキキョウの会」の代表を務める。活動は「従妹らが自分事のように手伝ってくれ」、年に数回チャリティバザーを開催。売上金でこどもホスピスや在宅医療で闘病中の子どもらに玩具のプレゼントなどをしている。今年度中には法人化し、障害を発症した子ども達への支援にも力を入れたいと語る。
会の活動に関する問合せは高木さん【携帯電話】090・3336・6741。ブログ「余命一年宣告のはじまり」(http://www.のぶちん.com)
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