仙台育英が東北勢初の優勝を遂げた今夏の全国高等学校野球大会。同大会に、つきみ野在住の江崎英俊さん(42)が審判員として出場した。高校時代、野球部員ではなかった江崎さんが聖地に降りたその理由とは。
夏の甲子園、8月7日の第一試合。八戸学院光星(青森)と創志学園(岡山)の1回戦。江崎さんは二塁審判として聖地の土を初めて踏んだ。甲子園名物のオーロラビジョンに審判員の名が並ぶ中、真っ白な明朝体の「江崎」が目に留まり、身が引き締まった。
甲子園はすべての球児のあこがれであり、3年生にとっては最後の夢舞台。江崎さんは「決して試合を壊さぬように」と、全身の集中力を結集し「アウト」「セーフ」とジャッジした。
大会5日目、10日の第三試合。鹿児島実業(鹿児島)と明秀学園日立(茨城)の2回戦では一塁の審判を務めた。最終回二死、鹿児島実の打者が内野ゴロに倒れ、この試合最後となるアウトのコールをした。普段よりも時間をかけたコール。「最後まで頑張った」と心の中でたたえた。
今大会、3試合で審判を務めた江崎さんは「この経験を後進に伝えていきたい」と話す。
「選手に寄り添う審判に」
大和市中央出身の江崎さんは、引地台小学校に入るとソフトボールを始めた。鎌倉学園中学校では野球部に在籍したが、高校の硬式野球部には当時、部員数の制限があり、入部はかなわなかった。バレーボール部で競技に打ち込むも、野球を忘れることはなかった。
遅咲きの松坂世代
高校3年の夏、甲子園を沸かせた松坂大輔を擁する横浜高校の全国制覇をテレビで観て、野球への思いと甲子園へのあこがれが再燃した。
明治学院大学に進学後、県野球連盟の講習を受け、筆記と実技試験に4年生で合格。審判員の仲間入りを果たした。「審判として聖地を目指そう」。「松坂世代」の元球児の思いは、そこから強くなった。
これまで、高校野球の公式戦のほか、市野球連盟主催の軟式大会、大学野球など数多くの試合で審判員を務めてきた。今夏、神奈川から派遣審判に選ばれたのは、江崎さんただ一人だった。県内に約240人の審判員がいる中、これまでの実績が評価されての抜てきだった。
「前を向こう」
甲子園では選手への声かけを意識した。三塁審判を務めた興南と市立船橋の1回戦。興南が3回までに5点をリードすると市立船橋の選手たちの足取りに変化を感じた。
「さあ、ここからだ。皆の憧れの舞台に君達はいる。前を向こう」
市立船橋が6対5でサヨナラ勝ちしたこの試合を振り返り、「昔も今も選手たちから興奮や感動を頂いてばかりです」とほほ笑んだ。
海老名市役所に勤務するかたわら、休日はほぼ県内外で審判を務める。「選手に寄り添う審判になる。それが私の次の目標です」。江崎さんは生涯現役を誓った。
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