徒然想 連載297 花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
一年最後の月で、今年も押し詰まった感じです。今月は、其の道求べく、其の人を択(えら)ばず。其の才取るべく、その形を論ぜず、です。出典は、平安、最澄、『顕戒論縁起(けんかいろんえんぎ)』。
意は、求めるべきものは、正しい教えであり、とり上げるべきものは、素晴らしい才能であって、求めた人が誰であるとか、才能を持つ人がどのような姿、形をしているかなど問題ではない、ということです。
ここに掲げた文言は、密教の灌頂(かんじょう)(受戒の時に香水を頭からそそぐ儀式)を行うように命じた内侍所(ないしどころ)の宣命(せんみょう)の文にみられます。この文言に続いて、帝釈天がライオンに追われて穴に落ちた狐から教えを聞いたこと、雪山の童子が鬼の唱える教えの後半を聞くために、鬼に自分を与えたことを紹介しており、師が危険に満ちた海を渡って中国に渡り、懸命に数多の教えを学び、そして未だかつて伝わっていなかった密教を日本に伝えたことを帝釈天や雪山童子のように恐れもなく、我身を惜しむことなく密教を伝えたこととして賛美しているのです。来る年が読者各位様にとって、より善き年でありますようにお祈り申し上げます。
桃蹊庵主 合掌