徒然想 連載317 花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
古代インドの話です。
ある村にキサーゴータミーという母親がいました。ある日、最愛の我が子を失った彼女は、その現実を受け入れられず、冷たくなった子供を抱いてとぼとぼと街中をさまよい歩きました。
不憫に思った村人が釈尊の所に彼女を連れて行くと、釈尊は静かにこう教えます。「これから街に戻って親族の中から一度も死者を出したことのない家を探し、白芥子の実を貰って来なさい。そうしたらこの愛しい子供を生きかえらせてあげましょう」。キサーゴータミーは喜んで街に戻り、釈尊から教えられたように、親族を訪ね歩きましたが、そんな家は一軒もありません。そこで彼女は自分だけが悲しみを味わっている訳ではないことに気付くのです。
これが釈尊の説法における善巧方便(巧みな手段)という方法です。空腹の人間に握り飯を与えるようなことではなく、渇いた砂に水がすっと浸み入るような教化なのです。病んでいる人が病気を治すだけでなく、病気を忘れ去るほど快復することもありました。
深い悲しみにある者に、中途半端な慰めの言葉など通じない。そばにいるだけでいい、そして、その悲しみの深さを感じ心を開き、他者と共に一歩を踏み出せばよいのです。
桃蹊庵主 合掌