徒然想 連載321 花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
今月は、夫れ門に件あり、空あり。件に非らざれば以て門を標すこと無く、空に非ざれば以て通致(つうち)すること無く、空に非ざれば以て通致すること無し。件は灰燼(かいじん)すべくも、空は焼くべからず、です。
出典は、中国隋代、天台智顗(てんだいちぎ)『法華文句(ほっけもんぐ)』。
意は、すべて門には門の形があり、その空間がある。形がなければ門であることを表せず、空間がなければ門であることを表すことができないし、空間がなければ門を通り抜けることはできない。門の形が焼けても、空間の働きは焼けない、ということです。
ここでは門に喩えているが、全ての物事にこの道理は通じる。形は使い道に応じて自在に変わり、工夫の如何によって空間の取り方も変わるのです。
優れた趣向や発想も、それを実現する形がなければ成就しない。表現された形はある程度は鑑賞に堪えるものとなるが、それまでのもの。一定の形から離れれば、意匠は自由に働き、次々に新しい形を生んでいくでしょう。文言にある、形は焼けても、空間は焼けないというのは、そういうことなのです。
来る年が読者各位にとって、より佳き年でありますようお祈り申し上げます。
桃蹊庵主 合掌
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