「戦争体験を聞く会」で横浜大空襲の体験講話を行った 山室 茂さん 上草柳在住 95歳
逆境を越えた先の幸せ
○…11月5日に渋谷学習センターで開かれた「戦争体験を聞く会」で、自身が体験した横浜大空襲時の様子を参加者に向けて語った。娘から同センターの語り部募集の話を聞き、「50年ほど住んでいる大和市に少しでも貢献がしたい」と快く引き受け、今回の講話に至った。家族の協力のもと、入念な準備をして臨んだという。「家族の支えもありながら、無事に終えられてよかった」
○…1928年6月生まれ。「うらしま太郎」ゆかりの地とされる神奈川区の浦島小学校へ通っていた。「竜宮城を出たうらしま太郎は母校の傍で玉手箱を開けたんだよ」と微笑みかける。卒業後ほどなくして、働き手不足のため、学校には通わず海軍工廠や農家、火薬工場に勤めた。勤労動員として働くことに不安もあったが「勤め先の皆さんが、優しく接してくれた」
○…1945年5月29日の昼「五月晴れの空が戦闘機で真っ黒になっていた」。その日のうちに横浜大空襲の知らせが届いた。地元の安否を確かめるため、急いで帰路についた。到着すると辺りは既に焼け野原になっており、足元にはまだ熱が残っていた。家族の無事に安堵するも、その後の食糧難に苦しむ日々。「勤め先の人が食糧や薬を分けてくれた時は、うれしかったな」と声を震わせる。
○…3人の子と5人の孫に恵まれ、現在は長男と仲睦まじく二人暮らし。家族のLINEグループにも参加している。趣味は俳句とカメラ。雑誌に応募するための句を書き留めるのが日課だ。天気のいい日には近所を散歩し、花の写真を自前の一眼レフカメラで撮影している。「苦労することも時には必要、その先にこうして良い事が待っている」と幸せをかみしめた。
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