綾瀬市内で養蜂に挑戦している 今井 富夫さん 70歳
追求心を忘れない
○…自身が育った地元福島で、農家を営んでいた父親が養蜂をする背中を見て育ち、68歳のときにテレビでタレントのミッキー・カーチスさんが蜂と戯れながら養蜂をしている姿を見たのをきっかけに火がついた。「現在、日本で販売されているハチミツのほとんどが外国産。もっと多くの人に日本産の良さを知ってもらいたい」。想いを胸に、綾瀬市内の職場近くで2箱の巣箱から養蜂を始めた。
○…24歳の時に2千円を握り福島から上京。運転手の仕事に就き、トラックが購入できると、わずか半年で独立を果たす。仕事が落ち着くと、今度はお茶に興味を持ち、お茶屋を展開。他にも海苔について調べ上げたりもした。一昨年から養蜂を始め、今も研究は止まることを知らない。「思い立ったら即行動」。この性格が体を動かしている。
○…仕事から帰宅後、頭の中から「プチッ」と音がした。脳梗塞だった。一命は取り留めたが、後遺症として言葉に障がいが。「頭でわかっていても、全然言葉が出てこない」。今でも忘れられないのは”さくら”の漢字が書けなかったこと。「あの時は悔しかったよ」と当時のことを思い返す。簡単な本を読み、意味を理解することや漢字の勉強が日々の日課。リハビリ期間は約1年に及んだ。これまでは何でもなかった読み書きに戸惑いながらも、様々な本を読破。新しい知識が増えていった。
○…「様々な出会いが自分を成長させてくれる」。時には養蜂の勉強を目的としたツアーで本場韓国に赴いたり、養蜂家のところへ直接訪ねもした。「やってみなきゃ、わからない」。その思いが前へ前へと足を動かしていく。昨年は本で得た知識をヒントにハチミツを使ったオリジナル商品も作り上げた。今は評価を聞くことが楽しみ。「たくさんの人に自分の知識を広げたい」。追求している物事に関して妥協せず、徹底的に取り組む姿勢で今日もまた歩き続ける。
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