現在の海老名市域はかつて「有鹿郷(あるかごう)」と呼ばれていた。この地の中興の祖として平安末期から室町中期にかけて活躍した武士団に海老名氏がいる。海老名氏はこの地を支配するにあたるよりどころとして有鹿神社を崇敬し、その神域にあたる海老名に館を構えた。
有鹿神社の創建はこの頃よりさらに前の弥生時代から縄文中期にまでさかのぼる。コメづくりが伝来したことに伴い、人々が鳩川沿いで農耕生活を営み集落(有鹿郷)を形成すると、この郷の水田(海老名耕地)の豊作と生活の安全を願う「水引祭」が起こった。この祭事の中心となったのが有鹿神社とされる。
天智天皇が行った大化の改新(645年)から19年後の天智天皇三年(664年)に社殿の建築に伴い国家的祭祀がなされた記録がある。
その後、天平勝宝八年(756年)に水田五百町歩の寄進を受け、平安中期に制定された延喜式神名帳では全国2861社として延喜式内社に列せられた。鎌倉時代の永徳元年(1381年)には海老名氏の加護のもとで正一位となったが、室町時代の兵乱により有鹿神社の社殿や社領が略奪された。室町後期の天正三年(1575年)には「水引祭」が復活し、徳川家康から寄進を受けるなどして長く延喜式相模国五之宮として崇敬を集める時代に移った。
こうした由緒ある有鹿神社では「神社に親しみを感じてほしい」との思いから、祭神や参拝客を楽しませる神楽に登場する動物にちなむ「パンダ宮司」や神職の禰宜にちなんだ野菜のネギの被り物「ネギヘッド」を創作。SNSにもたびたび登場して人気を博すキャラクターは「由緒ある神社が参拝客を楽しませている」として、NHKワールドジャパンで世界各国に放送された。
有鹿神社の禰宜で数々のキャラクターを創り出している小島実和子さんは「これからも神様に喜んでいただき、氏子崇敬者に喜んでいただける神社であるよう、神明に奉仕していきたいと考えています」と話している。
※7月3日号の有鹿神社に関する記事中に誤りがありました。関係各位にお詫びし、訂正した記事をweb版にて再掲出いたします。
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