1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災の被害を後世に伝え、犠牲者を慰霊する石碑が各地にある。今年10月1日まで海老名市立郷土資料館(温故館)で開催されている資料展の一角には、震災の歴史を伝える石碑に関する展示がある。
関東大震災から100年にあたる今年は、神奈川県や各地の自治体で、被災状況や復興の記録を振り返る企画展が開かれている。海老名市内には市が把握する限り、12カ所に震災を伝える記念碑があり、このうち約半数は震災復興がひと段落としたとみられる昭和初期までに建立された。
海老名市域では相模川左岸の低地に被害が集中し、約1600戸の8割以上が全半壊の被害を受け、53人が死亡した。被災の記録を刻んだ石碑は被害が大きかった中新田地区に集中し、社家と門沢橋にもある。
同市の資料展では、県の「関東大震災関連遺構リスト」(136カ所)に記録される6カ所の災害記念碑が写真付きで紹介されている。こうした記念碑は相模川左岸の座間市四ツ谷と同新田宿の2カ所も記録されているほか、綾瀬市にもある。
6カ所めぐる
増全寺(海老名市中新田)の境内には地域で犠牲になった28名の慰霊碑がある。高さ約1メートルの自然石には年齢順に犠牲者の氏名が刻まれ、「昭和二年八月」に建立されたと記されている。
増全寺から東に約200メートルの諏訪神社には、本殿西側にフェンスで囲まれた記念碑がある。震災で倒壊したとされる鳥居の柱には、「大正十二年九月一日大震災記念」と刻まれている。石柱の裏には「大正二年七月建立」とあり、鳥居の建立から十年後の震災で倒壊したことがうかがい知ることができる。
同所には震災前から被災、復旧、復興を境内で見守り続けた二体の狛犬もまつられている。
諏訪神社の東にある大島記念公園には、震災当時にあったとされる八幡神社で倒壊した鳥居の記念碑がある。高さ約2・5メートルで、中央の石柱には「震災記念碑」と刻まれ、「昭和十四年春」に建立されたと記されている。
中新田自治会館の近くにある川寿稲荷神社の境内には、高さ2メートルほどの記念碑がある。これも震災で倒壊した鳥居の一部という。
この神社には徳川家に仕えた高木清秀の家臣団の内田、遠藤、盛屋、杉本、鈴木、小川の6氏がこの地に刀を納めて土着したことを伝える「六刀碑」もある。
社家の三島社境内にも倒壊した鳥居が残されている。「大震災記念塔」と記され「昭和十一年六月」に建立された。「未曾有ノ激震ニ襲ハル」「死者三五ヲ数フ茲ニ當時ノ惨禍ヲ永遠ニ記念」などとある。
門沢橋を流れる永池川の世継橋(門沢橋4丁目)付近には高さ1メートルの「記念碑」があり、旧門沢橋村の被害が克明に残されている。
辺りの89戸の住まいと一社二寺はともに全壊。半壊に留まったのは13戸、死者6名、負傷者11名とある。
震災当年に作られたこの石碑は県内でも初期の震災記念碑として注目されてきた。
思い受け継ぐ
企画展でこれらの石碑を紹介した海老名市教育委員会は、「当時の様子を知る人が少なくなるなかで石碑が伝える当時の様子はより重要になる。大きな被害に遭った人々の思いを受け継ぎ、防災の意識にも繋げていきたい」と話していた。
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