任期満了に伴う綾瀬市長選挙は7月7日に投開票が行われ、元市議の橘川佳彦氏(54)が、無所属新人4人の争いを制して初当選した。「女性初」の市長をめざした佐竹百里氏(54)は3割の票を集めたが及ばなかった。投票率は1978年の市制施行以降の市長選で四番目に低い43・03%、投票が行われた前々回(16年)を11・14ポイント下回った。
今回の選挙では元市議の笠間昇氏(53)が昨年末、最初に出馬の意向を表明した。現職2期目の古塩政由市長が3月末に今期限りの引退を表明すると、翌日には橘川氏が出馬を表明。4月中旬には元市職員でまちづくりコンサルタント会社代表の栗原茂明氏(68)と、市議の佐竹百里氏(54)が相次いで名乗りを上げる展開となった。
言葉にならない
橘川氏は、市議当選4回、3期目の21年に議長を務め、長く最大会派に身を置いた。同市選出の綱嶋洋一県議(自民党)や前市長の笠間城治郎氏らの支援を受けて今年初めまでに出馬の意志を固め、支持者まわりを繰り返してきた。
選挙戦では自民党神奈川県連(小泉進次郎会長)と公明党座海綾総支部(上沢本尚支部長)のほか地元組織を中心に活動を展開。小泉氏や公明党参議院議員の三浦信祐氏、佐々木さやか氏らが連日応援に入った。
橘川氏は「私の人生をかけて綾瀬をよくする。絶対に裏切らない」などと訴え、定住人口の増加を標榜する医療福祉や子育て教育、移動手段確保に焦点をあてた政策を柱に「最終日まで泥臭くローラー活動を続けて支持を広げた」(陣営関係者)。
開票が進み当選が確実となった7日午後10時40分過ぎ、支持者の拍手と熱気のなか事務所入りした橘川氏は、「多くの皆様に支えていただき、ようやくたどり着いた。一致団結の結果」と高揚感を発露させあいさつ。一拍置いてから「言葉にならない」と喜びを爆発させた。
橘川氏と師弟関係にあり今回の出馬を後押しした綱嶋県議とは支持者の前で抱擁を交わし、おえつと涙で安堵の気持ちを分かちあった。
橘川氏は、「まずは公共交通の充実に向けてしっかり計画を練り、市民の移動手段を確保したい」と、市長職への意欲を語った。
佐竹氏
「女性市長誕生」への期待を一身に背負った佐竹氏は立憲民主党や共産党の支援を得て、立憲から離党し、草の根運動で支持を訴えた。
下馬評では最有力候補とも目されていたが、終盤に橘川氏の追い上げを許す結果となった。街頭では、「ものづくりのまち」の推進や人口減少による財源額保、福祉政策などを雄弁に訴えたが、終盤で勝利を逃す惜敗となった。
午後11時過ぎに事務所入りした佐竹氏は、「綾瀬の政治を変えようと思い立ち上がった。仲間たちとこの街を変えることができなくて悔しい。すべては私の力不足」と頭を下げた。
2位の得票については、「まちを変えて欲しいという思いの表れ。決して無駄な戦いではなかった」と述べ、「政策で勝負を挑んだが有権者に浸透しなかった。投票率を上げられなかった」と振り返った=写真。
栗原氏
市の大型事業の進め方に異を唱え、他の候補とは一線を画す政策主張型の選挙を展開したのが栗原氏だった。
「市役所だけでまちづくりを考える時代は終わった」、「市民みんなでまちを変えよう」と、マイクを使わずに声を張ったが全市を動かすまでには至らなかった。
7日午後11時過ぎ、支持者を前に「(得票は)皆さんの力で頂くことができた。やり切ったという思いはあるが、申し訳ない気持ち」と頭を下げた。「政策に手ごたえを感じ、中学生や高校生にも注目してもらえる場面があり、選挙に出たからこその経験もできた。4キロも体重が減った」と視線を上げた=写真。
笠間氏
笠間氏は2015年と19年に自民党公認でトップ当選し、3期務めた市議を昨春に引退して、在野での政治活動に身を置いた。SNSを駆使し、自転車で市内を巡り市民目線に立つ独自のスタイルで活動したが及ばなかった。
7日午前11時過ぎ、支持者を前に笠間氏は「文句も言わず支えてくれた皆さんに感謝。結果は私の実力不足。後悔はない」と挨拶した=写真。
史上最年少
橘川佳彦氏は7月25日付で綾瀬市第5代市長に就任する。
就任時の年齢は54歳で、1978年の市制施行以降、最年少となる。これまでは78年11月に初代市長に就任した鈴木進氏の58歳が最年少だった(鈴木氏は76年に54歳で綾瀬町長就任)。
橘川新市長は7月25日(木)午前8時に綾瀬市役所に初登庁する。
本紙は8月2日号紙面とweb版で新市長のインタビュー記事を掲載する予定。
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