「鎌倉殿の13人」に綾(あや)なす歴史話
☆綾瀬と鎌倉殿
―渋谷重国―
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送で、鎌倉時代が注目を集めていますが、現在の綾瀬市にも鎌倉殿(源頼朝)と関わりの深い一族がいたことを皆さんはご存じでしょうか。
その一族とは、渋谷重国を中心とした鎌倉御家人の「渋谷一族」です。
綾瀬市域の中世を伝える資料は多くはありませんが、『吾妻鏡』や『入来院文書』からうかがい知ることができます。特に『入来院文書』は、綾瀬から鹿児島へ地頭職として下向した渋谷一族の子孫が書いた文書で、綾瀬市域の様子も分かります。それでは、最初の鍵となる人物・渋谷重国とは、いったいどのような人物だったのでしょうか。
渋谷重国は、平安時代末期から鎌倉時代の初めごろに、綾瀬市域と大和市域の一部を含む「吉田荘(渋谷荘)」と呼ばれる荘園を運営していた人物です。秩父平氏の流れをくむ一族で、川崎市や横浜市にも関連する氏族がいました。いつ頃から渋谷荘を治めていたかは定かではありませんが、『吾妻鏡』の記載から1159年以前には同地にいたことが分かります。
重国は、後に鎌倉幕府成立に深く関わりをもつ「佐々木秀義」を20年もの間保護していました。秀義は、もとは近江国佐々木荘の人物ですが、平治元(1159)年に起こった平治の乱で源氏方に付き敗走し、平家方だった重国の保護下に置かれたのです。
重国の立場としては、源頼朝を預かっていた伊東祐親や北条時政と似ていますね。
当時の記録の中には重国の娘が秀義に嫁いだという記載や、秀義の子・経高を婿としたといった記載があり、保護対象とは言え両者は深い関係を結んでいたことが分かります。
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