悲しみ、越えたその先に 小池大橋飲酒運転事故から15年
市役所北交差点から、南林間方面に向かう途中に現れる「小池大橋」(栗原)。今から15年前の4月9日、何の変哲もないこの場所で、未来ある2人の大学生の命が暴走車によって奪われた。飲酒運転、無免許、無保険、無車検というあまりに悪質なドライバーに与えられた罪名は、「業務上過失致死」――。遺族らの怒りと悲しみは国を動かし、「危険運転致死傷」成立の契機となった。
理不尽に奪われた 19歳の夢と未来
2015年、事故から15年を迎えたこの橋の欄干には、今も事故の爪痕が残る。無数の傷跡が水平方向に延び、垂直方向に取り付けられた金属製の装飾は、車が衝突した箇所だけなくなっている。
当時、念願の早稲田大学に合格し、8日前に入学式を終えたばかりの大学生・鈴木零さん(当時19歳)とその友人(同)は、この橋の歩道を歩いていた。栗原中央にある鈴木さんの自宅に向かっていたのだ。2人は予備校で知り合った無二の親友だったという。
午前2時前、後方からきた1台の白い乗用車が、高さ約20cmの段差がある歩道に猛スピードで乗り上げて2人をはねた。鈴木さんの身体は欄干を越え、19メートル下のコンクリートの土堤に叩きつけられた。
ドライバーの男は、友人の披露宴に出席して酒を飲んでいたにもかかわらず車を運転していた。途中、座間駅前交番で行われていた検問に気づいて逃走し、前照灯を消したままパトカーを振り切っていたという。男は過去にもひき逃げで免許取り消し処分を受けており、事故当時は無免許状態。当時の座間警察署幹部も「極めて悪質で、遺族にかける言葉もない。ただただやるせない」と唇を噛んだ。
法と社会変えた遺族の決意
当時、悪質な運転による死傷事故を特別に罰する法律がなく、男には業務上過失致死と道交法違反が適用された。業務上過失致死の最高刑は、懲役5年――。2人の命の重さに対し、あまりに軽すぎる量刑だった。
鈴木さんの母・共子さんは事故後、当紙のインタビューに対しこう話している。「加害者は弁護士付きで法律に保護されている。最高刑が5年というのは、到底納得ができない……」
憤りを胸に、共子さんは同年6月、東京都内で追悼展を開催。その照準を、「法改正」に定めた。一般市民が声を上げて法改正に至った前例は、まだなかった。
そこからは街頭などにたち、地道に署名を集める日々が始まった。その活動は徐々に大きなうねりとなり、幼い姉妹2人が焼死した「東名高速飲酒運転事故」の遺族もこれに賛同。世論にも火が付き、2001年10月には計37万4339人の署名が法務大臣に提出された。
そして同年11月、危険運転致死傷罪がついに成立した。「一般市民による初の法改正」が、成された瞬間だった。
【次号に続く】
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