悲しみ、越えたその先に 小池大橋飲酒運転事故から15年
入学式を終えたばかりの2人の大学生が犠牲になった「小池大橋飲酒運転事故」から15年。5年6カ月というあまりに軽い量刑を前に、「危険運転致死罪」成立に向け奔走したのは、被害者の母・鈴木共子さん(栗原中央)だった。かつて、身を裂くような怒りと悲しみをエネルギーに声を上げ続けた母は今――。アーティストとして都内を拠点に活動している鈴木さんのもとを訪ねた。
慟哭はアートに、そして慈愛に
東京都日野市、旧・百草(もぐさ)小。廃校になった小学校の一室で、鈴木共子さんによる「いのちのミュージアム」は静かに開かれている。
ミュージアムといっても、そこには色の洪水のような絵画や重厚な彫刻はない。あるのは、理不尽に命を落とした人々が、確かに生きたその証。故人と同じ身長の「メッセンジャー」と呼ばれるオブジェたちだ。その胸元には遺族が一針ずつ縫ったフェルトのハート、足元には、生前に履いていた靴が添えられる。掲げられた写真の様子がバラバラなのは、一番その人らしいものを選んだからなのだろう。交通事故、殺人事件、医療ミス。メッセンジャーたちがもつバックグラウンドも様々だ。
元々、空間アートを主とした造形作家として活動していた鈴木さんが「いのちのメッセージ展」を始めたのは、事故から1年が経とうとしていた2001年3月。追悼展や署名を通じて出会った、同じ境遇の遺族たちとともに東京駅で開催したのを皮切りに、これまで全国各地で130回を超える出張展を開催してきた。
各地を回るうちに、鈴木さんに共鳴する遺族は増え続け、今では「160命(めい)」のメッセンジャーが集まった。息子・零さんのものは、来場者を最初に迎える廊下の一番手前にそっと置かれている。
「メッセンジャーはただの置きものでなく、その人が確かに生きた証。この空間にメッセージの受け手となる人が介在して、初めてアートになるんです」
矯正施設で「いのちの授業」
「加害者にも救いを」
確実に活動の輪を広げる中、2008年、矯正施設での開催が実現した。埼玉県の少年刑務所で、加害者と被害者、対極にある人間が正面から向きあった。
会場には遺族数名が立ち会い、展示と併せて講演をする「いのちの授業」が開かれた。メッセンジャーをじっと見つめる少年、涙を流す者。「全員にではないかもしれないけれど、確かに届いている実感があった」と、鈴木さんは目を細める。
そこから数えきれない矯正施設を回り、最も罪が重いとされる「LB級」受刑者のもとにも行った。後から長文の手紙や、雀の涙ほどの刑務作業賃金を集めて送ってくる者もいた。「特に、まだ若い人たちの反応は、とてもまっすぐで。ボーダーラインにいる子どもたちを、少しでも救いたい。今は、そう思うんです」
事故から15年、ただただ夢中で駆け抜けた。怒りが完全に消え去ることはないが、一人の創り手としてそれを昇華し、社会に向けて放ち続けてきた。「共子さん」。夫が病死して以来、母をそう呼ぶようになった息子。「共子さん、頑張ったじゃん」――。そんな息子の声が聞こえる気がする。
悲しみを越えたその先に。母が出会ったのは、「被害者も、加害者も救う」という新たな使命だった。「今も、ここで息子と寄り添って生きているから」。そう語る共子さんの顔に、もう険しさは見られなかった。
【了】
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いのちのミュージアム/東京都日野市百草999【電話】042・594・9810。毎週金〜日曜日、午前10時〜午後5時開館。
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