栗原中央の広場の一角にたたずむ、「奇跡生還之碑」と刻まれた石碑。これは満州・ソ連の国境で戦闘し、終戦を知らぬまま1年弱に及ぶ過酷な体験をした元兵士4人が建立したもの。その一人が、栗原中央出身の大矢東(あずま)さん(91歳/大和市在住)だ。「人命も、先人たちの遺物も、多くのものを奪う戦争は二度と起こしてはならない」。もう間もなく終戦71年を迎えるなか、大矢さんはこの言葉を繰り返す。
「戦争反対」訴え続け
満州に出征したのは18歳の時。戦死した兄に代わり、「日本帝国軍人として立派に責務を果たす」と心に誓った。
戦局が一変したのは、終戦直前の8月9日。国境沿いに大量のソ連軍が押し寄せ、24日まで続いた戦闘によって、大矢さんがいた陣地を含め周辺で約2000人が戦死したという。生き残った兵士は後方部隊を求めて撤退したものの遭遇できず、ともに行動していた兵士は5人に減っていた。
零下30度という極寒のなか、越冬を余儀なくされた。密林で穴を掘り、息をひそめる日々。鼠や蛇などを捕まえて食べ、最後はトウモロコシ150粒で一日の飢えをしのいだ。過酷な放浪のなか、凍傷などによって衰弱した2人が自決した。
1946年5月、中国共産党軍に捕まり、終戦を知らされた。「言葉が出なかった。何故負けたのか。不思議でならなかった」。
形あるもの後世に
帰還後、24歳で結婚して大和に移り住んだ。子や孫に恵まれ、戦争については体験者同士で話すのみだったそう。「妻が、戦争の話を嫌っていてね。私の目の色が変わるというんだ」。
1994年、妻が亡くなったことをきっかけに、戦争について改めて振り返るようになった。2001年には体験記「為子々孫々残(ししそんそんのためにのこす)」を執筆。その3年後には、満州での戦友と連絡を取りあって、栗原中央に「奇跡生還之碑」を立てた。「父親から、『人生において、形あるものを残しなさい』とよく言われていた。本や石碑も、私たちの体験を社会に発信し、後世に残すため」と語る。
今は、平和祈念展示資料館(東京都)の「語り部」として、同館の催しに出演している。全国各地から集まった修学旅行生など来館者に、戦争の悲惨さと過酷さを伝え、恒久平和を訴えている。
![]() 戦友たちと立てた栗原中央の石碑
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